救急隊員に「どうか病院へ」とお願いしていました

遺族アンケート

84歳夫/看取った人・妻/静岡県/2021年回答

リビング・ウイルはいつも保険証、お財布と共に持参しておりましたので「延命措置は?」と問われた時には提示するつもりでおりました。延命措置しないのが夫の意志でございましたから……。

でも、その時、駆け付けた救急隊員に「どうしますか、このまま助かっても社会復帰はできませんよ」と言われましたが「どうか病院へ連れて行ってください」とお願いしました。この倒れる前に3~4回貧血で倒れておりましたので、貧血かと軽く思っておりました。浅はかでございました。

救急車の中では、懸命に心臓マッサージと注射4本、病院の医師たちも努力してくださいましたが、病院に着いた時にはすでに亡くなっていたそうでございます。病院ではCT検査をして病名もわかりましたし、きれいに死化粧もしてくださって丁重なお見送りをいただき感謝いたしております。

亡き夫はいつも努力することが大切と実践しておりました。その生き方は見事でございました。
その生き方を見習って私は残り少ない人生ではございますが、精一杯努力して生きようと思っております。私の生き方が、娘たちに伝わることを願って……。貴協会の御発展と皆様方の御健康をお祈りいたしております。

協会からのコメント

医療ケア職者たちは、多くの経験を経て、命の「選択・決断」のポイントを学び、会得していくもの。一般の生活者にとっては人生でほんの数回しかない稀な体験です。これで良かったのか? と不全感にとらわれる人が少なくないのも当然です。「浅はかだった」とご自分を責めすぎないでください。大きな喪失感を抱えておられる今こそ「これで良かったのだ」とご自分を許してあげましょう。情報BOX「グリーフケア-大切な人を亡くした哀しみを癒すために」をぜひ参考にしてみてください。

 いわゆる「不治かつ末期」という「病気の根治はもう不能な末期」と言われていない限り、回復を望んで治療を依頼するのは当然のことです。その時は無我夢中で「命」をとどめようとするのも自然なことです。例えば、在宅看取りを選択したのだから救急車は呼ばないと思い決めていても、その判断に迷い、とりあえず救急車を呼ぼうという流れになるのも普通のことです。あとから振り返って、あの時が、リビング・ウイルを提示するべき時だったと思い至るのだと思います。

 このように、つらい経験をありのままに投稿するという努力をしてくださったこと、本当にありがとうございます。ご夫妻で「何事も努力することが大切」を実践してこられた、その生き方は娘さんたちにもきっと伝承されていくと思います。さらに「看取りのエピソード」として公開させていただくことで、お一人の経験が誰かの役に立つことがあると信じましょう。共にご冥福をお祈りしています。くれぐれもご自愛ください。