本当に回復の見込みがない時だけこの意思表示はできる
遺族アンケート
76歳夫/看取った人・妻/埼玉県/2021年回答
夫は急性大動脈解離で長時間の手術をし、一応手術は成功しました。入院して1か月の間、3回ほどの小手術も耐え、リハビリ病院への転院までもう少しというところで、また解離が起きて亡くなりました。最初に救急車で運ばれる時「カード(尊厳死協会)は持ったか?」と苦しい中で言いました。手術室に運ばれる時、私に「お母さんありがとう。今までありがとう。何もかもありがとう」と、子どもたちの名前を言い「皆ありがとう」と。「自分はもう死ぬんだ」という気持ちだったのでしょう。
手術が成功し「自分は助かったんだ。生きたい。生きられるかも」と生きる力が湧いてきたので、苦しい治療を1か月も頑張ることができたのだと思います。
私は「1か月も苦しい思いをさせて本当に申し訳ない」という気持ちと「わずかでも治る見込みがあるなら、頑張って生きてほしい」という気持ちと、亡くなってしまったので憶測になりますがそんなふうに思います。
日頃から二人で尊厳死のことは話してきました。本当に回復の見込みがない時だけ、この意思表示ができるのだと思いました。
私たちの考えは子どもたちにもきちんと伝えてありますが、次に私がそのような状態になった時、子どもたちは迷うかもしれません。
協会からのコメント
「せっかく助かった。それなのに先の希望が見えてきたと思った矢先に亡くなってしまった」……ご本人・家族にとって切ない限りです。後悔のない最期、看取りはないのだと思います。「せっかく……だったのに」「……タラ・レバ」と無念に思う気持ちこそが人間的なことでしょう。けれども逝かれた後のグリーフケアの対処法としては、「1か月も苦しい思いをさせた」と考えるよりも「生きるために最善を尽くした」と考えていただけると良いように思います。【情報BOX】「グリーフケア-大切な人を亡くした哀しみを癒すために」をどうぞ、参考になさってください。