私にはリビング・ウイルカードがもつ意味の重さが苦しかった

遺族アンケート

97歳母/看取った人・娘/群馬県/2023年回答

2度命の危険があって手術となり、よく考える間もなくいろいろな書類にサインを求められ、カードを示したものの助かる基準がわからないため悩みに悩みました。

自宅での介護となった時も、訪問看護師さんに疑問をもちました。カードを提出していたがために、いろいろなことが手抜きされてしまった介護になっていることが多かった。きっかけは、鼻血が突然に出て、口の中にもあふれてしまい、吸引をしたがとりきれず、訪問看護師さんに電話を入れた。担当の看護師さんは出かけなければならないし、誰もいないから、これから来る訪問入浴の看護師さんにみてもらってと言われた。たまたま10分位で訪問入浴の方に来ていただけたので助けてもらったが、やはり大変で、訪問看護師さんにまた電話することに。

大変な量の鼻血の吸引。とりきれないのは仕方がないと訪問看護婦さんに言われた。その翌日私が気づいた時にはもう亡くなっていて、お別れさえもできなかった。他のことでも「これは延命とは関係ないのに」と思うこともあり、命の期限を早々と決めてしまっていることが多かった。カードを早々と見せてしまった私がバカだった、と悔やんでも悔やんでも悔やみきれず苦しんでいます。

自宅介護となって「これからどう最後に向かってすすめましょうか」と問われた時に、カードを見せてしまったが、だんだん食事がとれなくなってからカードを見せた方が良かったのか。ヘルパーさんはできる限り患者が少しでも食べられている間は、生きるということを大事にして、母の心に寄り添って介護してくださった。

私にはカードのもつ意味の重さが苦しかった。私自身入会しているが身寄りがなく、家族の苦しみを味わう人はいないのでホッとしている。乱筆乱文お許しください。目が見えなくなっていて申し訳ありません。

協会からのコメント

かねてよりリビング・ウイルについて熟慮されていたご家族でも、いざ、その代諾者(医療の代理人)になった時の苦悩が伝わり、胸が痛みます。

ご自身が「身寄りがなく、家族の苦しみを味わう人がいないのでホッとしている」と書かれている言葉を読み、身につまされる思いがします。

きっと、このような苦しみは他の誰にも味わわせたくないという思いでしょうね。代諾者になるということは、これほどまでの重い感情を背負うものだということを知らせることも「小さな灯台」の役目だと思い、ここに紹介します。

リビング・ウイルが実行されていくためには、どうしてもその意思を代弁し、実行してくれる代諾者が必要なのです。だからこそ、その代諾者になりうる人々への心のケアとサポートが不可欠だと思います。
※「小さな灯台」では代諾者になった人、なる人のための特集「代諾者(医療の代弁者)について考える」を組んでいます。ぜひ「代諾者」について、皆様の「体験」「ご意見」をお寄せください。