会員様・ご家族様からの声・2022年ご遺族アンケートより

母(93歳)を亡くした喪失感や、分からなかったから出来なかったこと、失敗したことの悔いはありますが、母の希望を叶えた安堵感や満足感は大きな誇りです。愛する人が満足して逝った幸せは、残される者に先に進む勇気と希望を与え、自分の最期を恐れなく考える機会となりました。(秋田県)

残される家族にとって、本人の生前の意思表示が如何に重要か、身をもって教えられたと感じています。(兵庫県)

夫(88歳)との別れは辛く悲しいものですが、夫の選んだ最期には若い人たちからも称賛の声が上がり、夫には大きな拍手と喝采を贈りました。(東京都)

死に直面した際の尊厳は守られなければならず、もっと広く世に知られるべきと思います。(兵庫県)

もしもの時の決断は突然やってきて、即決を求められます。母(86歳)の協会への入会が家族の悔いや悲しみを軽減してくれました。(福岡県)

高齢の夫(87歳)は、何をするにしても「協会の会員である」という安心感があって、シニア期を充分に楽しむことできました。(千葉県)

リビング・ウイルは、患者とその家族にとって、自分たちの自由を主張する唯一かつ最後の方法だと実感しました。これがなければ主軸が定まらず、第三者の言いなりの状況に陥るところでした。(京都府)

リビング・ウイルがあるから安心して生きていられます。(東京都)

長い間、娘の私と一緒に母(92歳)を見守ってくれた会員証に「ありがとう」と言いました(神奈川県)

◇本人(妻、80歳)も家族も、安心して冷静にその場の対応ができました。リビング・ウイルがあることで、医師に対して説得力がありました(北海道)

◇叔母(96歳)の意思を伝えるのに助かりました。特に施設入所している場合は必要です。協会に入会していることで、普段から叔母と「最期はどうしてほしいか」を話すきっかけになっていましたし、在宅訪問医師や施設の嘱託医師の理解を得る助けにもなりました。(東京都)

◇母(86歳)は40年ほど前の自分の母親の最期が、意識もなくただ人工呼吸器で生かされ、だんだんあちこちが壊死し始めた姿をみたことから、それは避けたいと言っていました。そんな時尊厳死協会の存在を知って入会し、最期まで口から食べたい、最期は家で亡くなりたいという希望を話していたのですが、結局どちらも叶えてあげられませんでした。母の晩年、医師には母のリビング・ウイルを伝えていたので、治療・療養方針についての話し合いの際は医師は母の希望に沿った方針を出してきてくれるのですが、私にとっては早く治療を打ち切ってしまう方へ誘導されているような、被害妄想的な思考になったりしました。私たちの決断ひとつで、母が苦しい思いをすることになったり、命の期限まで決めてしまうことになりかねないと思うと、怖かったです。今になって思うと、母の意に反して、2カ月も知らないところ(老人ホーム)に押し込められるより、勝手知ったる我が家で過ごしたかっただろうな、と今頃ようやくごめんね、と思っています。最期はどうしたいかを決めてあるものね、と母と話していたのですが、いざそうなってみると、そんな単純に割り切れるものではなく、何も決めていないと等しいくらい難しかったです。(東京都)

◇101歳の母を自宅で看取りました。会報の記事や手記などを読み、「看取る」ことを私自身で実践し、覚悟を決めてゆく年月は大切で必要なものでした。今後は私たち夫婦のこと。どうなるかは今は全くわかりませんが、終身会員となり、会報等を参考にして「来るべき死をどう迎えるのか」をくり返し自分で積み上げていきたいと思っています。(広島県)

◇行政書士の私が後見人に就任した際に、ご本人(85歳)の持ち物からカードを尊厳死の宣言書が出てきました。がんの告知を受けた時、緩和ケア、救急搬送先、緊急時には必ず提示したので、医師にご理解いただけました。身寄りのいない方には、医療同意して下さる方がいないので、後見人にとってもご本人にとっても、助かりました。(神奈川県)

◇私たち夫婦は日頃から最期の生き方についてよく話し合い、協会にも揃って入会しました。金婚式を迎えた3週間後に夫(80歳)が誤嚥性肺炎で倒れてしまい、医師に「胃ろうになりますが、どうしますか?」と聞かれた時は驚いてしまいましたが、「主人はこれを言っていたんだ!」と直ぐに理解し、協会の話をして延命措置拒否の署名をお見せして、何もせず静かな旅立ちを待ちたいとお願いしました。幸い、面会可能な病院を探していただき、亡くなるまでの20日間、毎日穏やかな時間を過ごすことができました。逝く者のお手本のような幕引きで、後は残されたものがしっかり生きていかなければという思いを新たにしています。(東京都)

◇父(89歳)が救急科に入院した当初は抗生剤と水分の点滴を受けていましたが、回復の兆しもなく徐々に状態が悪くなる中、定期的な痰の吸引時に、意識レベルは低下していなくても顔をしかめて苦しそうにする様子を目にした家族としては、これ以上のことをしてほしくないと強く感じました。入院時から本人の希望としてリビング・ウイルを伝えてあり、家族も本人の希望を尊重してほしいという要望で、担当医師には穏やかな最期を迎えさせてほしいとお願いをしました。急性期病院の病棟でありながら、医師はその想いをしっかりと受け止めて下さり、親身になって相談に応じてくれました。穏やかな最期を迎えた父を悔いなく看取ることができました。このように本人の意思が尊重され、家族も温かい気持ちで看取りができた経験から、協会のリビング・ウイルがより一層広く知ってもらいたいと感じ、このことを親類や知人に伝えているのですが、なかなか入会を考えるところまではいかないのが残念でなりません。(愛知県)

◇亡くなった父(91歳)は、自分に代わって家族が尊厳死の希望を医師に伝えた後、「自分がお父さんを死なせてしまった。本当はもっと生きたかったかもしれない」と、かけらも思わなくていい。自分は尊厳死を希望していて、その為に入会したのだから、と言っていました。(東京都)

◇母(91歳)が高齢者施設に入所した際、リビング・ウイルを渡したにもかかわらず、何度も何度も、本人や家族の意思を確認されるのが強いストレスでした。(大阪府)

◇父(88歳)は認知症になる前に入会し、家族にもしっかり伝えていたので、延命措置を断ることができました。娘の私も希少がんにかかり、大きな手術をしました。今後入会をするつもりです。自分のためにも家族のためにも意思をはっきりさせておくことは必要だと思います。協会の存在を有難く思っています。

◇「尊厳死」という言葉は知っていても、協会があることは私は知りませんでした。高齢の叔母(89歳)がどのように尊厳死協会を知り、入会の決断をしたのか分かりませんが、感心しています。もっと多くの人が尊厳死協会を知る場所や機会があれば良いのにと思います。(北海道)

◇私の家では、会報を数年分保管していて、大変役に立ちました。母(91歳)の今後の方針を決めなければならなくなってからはバックナンバー全てに目を通しました。多面的で様々な生の声、情報が掲載されていて、とても心強いよすがとなりました。(愛媛県)

◇母(81歳)が会員であったため、緊急入院の際、退院後の高齢者施設入所の際、さまざまな局面で母の意向をスムーズに伝えることができました。施設で体調が悪化した時も病院移送ではなく、施設の居室でお看取りをお願いする決断の助けとなりました。その結果、リモートではありましたが、継続的に母と話をしたり接点を持ち続けることができ、母のメンタル面を支えることができ、私自身も嬉しかったです。(宮城県)

◇夫(94歳)の入院時に会員証を提示し、すぐに理解をしてもらえました。コロナ禍での最後の日々、夫と私の交換日記やお惣菜の差し入れ、電話での会話などを可能にして、温かく支えて下さいました。夫の自作句「絶筆は完と書きたし冬銀河」。伴侶との別れは悲しみの極みですが、夫の魂に守られ、友人に支えてもらいながらがんばります。後日夫の旅立ちノートを見つけ、「しあわせな人生だった。」と記されていました。今は友人たちにも協会の説明をしています。沢山の方が参加して、自分たちの最期を納得できるものにしてもらいたいです。人生の終わり方は大切です。夫を送りまして実感です。(北海道)

◇2017年、腸捻転を繰り返していた父が、とうとう腸に穴があく状態になってしまい、手術をするかどうかを20分で決めるよう医師から告げられました。ただ、手術をしなければ3日程で亡くなるとのことで、手術をお願いしました。90歳を越えての大手術でしたがどうにか成功し、人工肛門を装着することになりました。術後苦しかったようで、我慢強かった父が何度も「死にたい」と言うようになり、手術したことがよかったのか悩みました。この経験から母は家族に、しかも短時間でこのような決断をさせるのは酷だと感じたようで、尊厳死協会に入会しました。その母(90歳)の最期は、医師も施設側も母の意思を受け入れて下さって穏やかに旅立つことができました。(神奈川県)

◇父の母親が、意識が全くないのに胃ろうの手術を施され、10年生き続けました。それにより介護を強いられた父の姉は、大変な思いをしていました。それを知っている父(81歳)は「延命だけは絶対にしてくれるな。夫婦ともに同じ思いだから、子供等よ、よく覚えとけよ。」と常日頃から言っていました。最期はホスピスに入り、「自分は3月1日に逝くから。今までありがとう。」と言い、冗談かと思っていましたら本当に3月1日13:32に永眠しました。父の尊厳をしっかり守ってもらい、家族一同感謝しています。(東京都)

◇父(85歳)の最期に関しては、以前から父自身も家族も延命措置は避けたいと話していたにもかかわらず、いざとなると、長男の私と、姉夫婦・母の意見が分かれました。母たちは「父に病状を伝えるのは生きようとする気持ちを削ぐ」「病院にまかせておけば大丈夫」「本人は何も知らない方が幸せ」と言い出しました。回復しない状況での延命措置ほど残酷なものはないと考え、最終的には父の意思を尊重する旨説得しました。(三重県)

◇父(96歳)が亡くなって今思ってみると、私たちの介護の方法は良かったのかどうか、考えることばかりです。母も認知症でしたので、県外に住む私たちが交代で実家に通い、地域のサポートも得て介護をしていましたが、我慢強く穏やかな父が「もう疲れた」と何度も言いました。現実には、それぞれの生活があり、希望がひとつになるとは限らないものです。

(岩手県)

◇父(95歳)は外出先で倒れて救急搬送され、10日で亡くなりました。父は常に会員証を携帯していましたので、搬送先の医師に直ぐに提示することができ、医師も理解をしてくれました。(神奈川県)

◇協会には約18年前に両親が入会しました。16年前に母が亡くなった際に、医師にリビング・ウイルを提示したところ「こういうものがあるのですね。僕ももっと勉強しなくては」というお返事でしたが、今回父の最期のときには直ぐに理解をしていただきました。両親とのお別れを通して私が感じたのは、もし両親が尊厳死協会の会員でなかったら、私は最期の決断を迷うことなく行うことが出来なかっただろうということです。死の瞬間を引き延ばす措置をしないという決断は、何か見捨てるような、冷たい仕打ちのような気がしますし、少しでも長く生きていてほしいという思いを捨てきれなかったりするからです、亡くなる前も亡くなった後も、これで良かったのかといつまでも悩んだと思います。医師に、両親の希望に添ったお返事を迷わずすることができ、今もそれで良かったと思っています。(広島県)

◇姉(85歳)の体調が悪化したとき、近所のクリニックの医師に姉は尊厳死協会に入会していること、延命措置を希望していないことを伝えた際に、新興宗教と誤解されたような雰囲気になり、協会をご存じないのかと驚きました。医療関係の方はどなたでもリビング・ウイルのことを知っておられると思っていましたので、少し残念でした。(群馬県)

◇悪性リンパ腫になった妻(77歳)の終末期、医師には治療は拒否して緩和病棟へ移りたいと再三伝えましたが受け入れられず、結局苦しみの中私との会話もできないまま亡くなったことが悔やまれてなりません。(北海道)

◇苦しむ姉(93歳)を見て、医師に緩和ケアをお願いしたいと伝えました。「薬を準備します」と言って病室に戻って来たのは3時間後でした。医師や看護師は人の痛みや苦しみを受け止めることができなくなっているのではないでしょうか(大阪府)

◇私と妻(73歳)がリビング・ウイルに出会ったのは、脳死状態で約4年半生かされた母が亡くなった際に、その大変さを友人の医師に話したところ、彼は協会の会員証を差し出し、説明してくれました。話を聞いた私と妻は子供たちと相談して即入会しました。それから5年後、夜中に妻が突然意識を失い救急搬送されましたが、検査の結果小脳出血のため手術を施しても回復は見込めず、脳死状態が続くと思われる旨告げられたため、協会の会員証を差し出し、「このようにお願いしたい」と伝えました。医師は「はい。わかりました。痛みや苦しみをとる処置だけにしましょうね。」と優しく思いやりのある対応に感動しました。医師にもリビング・ウイルの存在が周知されていることで、くどくどした説明をせずに理解してもらえたことが有難かったです。それから14日後に妻は73年の人生の幕をおろして浄土へと旅立ちました。(福岡県)

◇夫(85歳)の急変で夜中の救急車で飛び込み、救急の医師に会員証を提示しました。医師は即「わかりました。ご希望に添います。この後は緩和ケアをしましょう。どの医師に代わっても、このことは全員が分かるように通達しておきます」と仰いました。「わかって下さり、有難うございます。嬉しいです」と言うと、「このことは大事なこと。ちゃんとせないかん。」と仰り、安堵しました。(愛媛県)

◇母(94歳)を看病、介護をしている最中は、その時その時悩んで悩んで、でもすぐに決断しなければいけない状況でしたが、亡くなってしばらくするとたくさん後悔してくよくよしてしまいます。これが看取る側が必ずたどる道なのかもしれません。ただ、判断・決断の一番の指針はリビング・ウイルでした。晩年の母は認知症で、自分の意思を伝えることはできなくなっていましたが、はっきり意思表示できるうちに協会に入っていてよかったと思います。(滋賀県)

2022年のご遺族様アンケートでは、医療者のリビング・ウイルに関する知識の格差、残された家族へのグリーフケアを望む声が多く寄せられました。協会本部や支部の役員である多くの医師が、様々な地域で、学会や自治体が行う講演会、医療教育の場などで、同じ医療関係者に対してリビング・ウイルの意義を熱心に伝えてまわっています。その地道な努力で、協会の趣旨に賛同し、患者さんのリビング・ウイルを尊重する環境が広がってきています。

旅立たれた方が希望通りの尊厳ある最期を迎えた場合でも、残されたご家族様は納得感や誇らしさ、安堵感はありつつも、悲しみや後悔が心に残るものだと多くのお便りから拝察されます。協会が行っている「小さな灯台プロジェクト」のサイトを是非ご覧ください。同じ想いを持つ仲間が、それぞれの体験や想いを共有して支え合い、ピアサポート(同じ苦しみを持つ当事者や経験者がお互いを支え合うこと)の面でも助けとなる、癒されるサイトです。

2022年は669人の方から回答をいただきました。557人(83%)が医療者にリビング・ウイルを提示し、「リビング・ウイルが十分に受け入れられたと思う」方が72%、「どちらかといえば受け入れられたと思う」方が23%。95%のご遺族がリビング・ウイルの効果を感じておられました。ご家族にとってリビング・ウイルがどういう意味を持ったかという問いに対しては、図の通りです。

深いお悲しみの中、アンケートにご協力くださいました方々に深く感謝申し上げます。