会員様・ご家族様からの声・2021年ご遺族アンケートより

生きる者への道しるべ

父は、「協会の趣旨が自分の生きる最後にふさわしい、生きる者への道しるべ」と言っていました。(神奈川県)

苦しい治療から解放され、やっと大切で、大事で、必要な時間を持つことができました。(千葉県)苦しい治療から解放され、やっと大切で、大事で、必要な時間を持つことができました。(千葉県)

母が協会に入会していたということが、周りにとって大きな意味を持つことになりました。(広島県)

母は全く悔いなく、最高に上機嫌で逝ったと思います。(愛知県)

本人の意思を尊重できたお別れは、今後の人生を前向きに受け入れるための貴重な経験となりました(沖縄県)

  • 父(86歳)が入院した際、父は「尊厳死協会の会員証と宣言書を先生と看護師さんにお見せして」と力強く私(次女)に言いました。日頃から自分の口から食べること、自分でトイレに行き排泄することは最低限自分らしくいられる事だと言っていました。尊厳死協会を知ってからは、協会の趣旨が自分の生きる最後にふさわしい、生きる者への道しるべとも言っていました。入院した病院は父の気持ちを大切にしてくれました。入院から2週間で亡くなったのは大変悲しいですが、病院から「生前のお父様からの希望でしたので、延命処置は行いませんでした」と告げられ、父の意思を尊重した対応をして下さったと思っています。元気な時から会う人皆に尊厳死協会の事、自分の最後の事を伝えていたので、父が父らしく残された家族に自分の生きざまを見せてくれたとも思っています。病院はコロナ患者受入れ病院だったこともあり、大変な時期でしたが、父の意識がなくなる前に電話で話をさせてくれました。父の最後の言葉は「ありがとう」でした。父は父らしく生きられました。(神奈川県)
  • 母(85歳)の最期は、在宅医療の先生や看護師さんが専門性を持ちながら、患者と家族の気持ちを尊重する、という態度を貫いて下さいました。患者の側からすれば当たり前のことでも、それが社会に浸透するには協会の活動というような大きな流れが必要なのだと思います。今後、大きな病院などでもこの考え方が普通のこととして広がっていくといいと思います。(神奈川県)
  • 京都で生まれ京都で育ち、60歳まで京都で仕事をしていた母(89歳)は、亡くなる1年半前にすべての治療を断りました。それからは抗がん剤の副作用に悩まされることなく、「毎日が幸せ」と言っていました。リビング・ウイルの存在は母にも私にも大変大きな安心を与えてくれました。最後に搬送された病院では本人の希望を理解して、痛みの緩和だけで穏やかに旅立ちました。(大阪府)
  • 母(88歳)は介護施設に入居していました。いよいよ体調が思わしくなくなった際、本人、家族、施設の職員さんや医師と話し合いの場を設け、協会の会員である旨を伝えたところ、深いご理解をいただきました。私はこれまでに6人を看取りましたが、会員であった母の最期が最も安らかであったように思います。(埼玉県)
  • 入院したり、訪問医を頼んだり、介護保険のサービスを利用する時も、まずは自分が尊厳死協会に入会していることを伝えることで、自分が望んでいることがストレートに伝わったと思います。思うように死を迎えることが難しい中、見事に人生の幕を引いた父(92歳)を本当に尊敬し、目標にしたいと思っています。(岡山県)
  • 夫(88歳)の死は悲しく、寂しくはありますが、一方で安堵しております。別れは必然ですし、夫にとっては望んだ通りの最期のありようでしたので。ただ残念だったのは、コロナ禍で面会ができず、スマホで顔を見たのが最後になってしまったことです。今はただ、早くコロナが収束して、家族で最愛の人とのお別れができるようになることを願うばかりです。(福岡県)
  • 父(93歳)のリビング・ウイルがあって良かったと思ったことは、兄妹や親戚間で意見の相違による揉め事が起きなかったことと、関係者と生活プランなどを決める時にその場の感情に流され迷ってしまう気持ちを常に父の意思に沿えるよう強く持てたことです。元気なうちに自身の終末期について考え、実行しておいてくれた父に感謝しています。(東京都)
  • 雑誌で協会のことを知り、母(101歳)に読んでもらったところ「すぐに入会の手続きをしてちょうだい」と言われて一緒に入会しました。その後母は亡くなり、遺品整理をしながらこれで良かったのか迷っていました。しかし母の大切な保管物の中にリビング・ウイルを見つけた時、良かったんだねえー、「そうよ」と言う母の声が聞こえたような気がします。次は私の番です。子供たちの心の負担を少しでも軽くできるように、自分の気持ちをしっかりと伝えておかなければ。(神奈川県)
  • 自然にまかせるということへの葛藤があった。後悔が一生残るとも感じた。本人の意思ではあるが、残される者との十分な協議が必要と感じる。(神奈川県)
  • 私自身が看護師で、延命に関しての疑問を持っていました。患者本人とその家族が死を受け入れられず、最期まで希望を持ち続けたいという気持ちを持つのは当然で、よくわかりますが、状況によっては延命が当人を苦しめているだけではないかと感じていました。日本では家族に意思確認をすることが多く、本人から言えない状況になるとなおさら家族に決定が迫られ、迷います。リビング・ウイルを定着させ、本人の意思を生かすために法的な意味を持たせなければ、家族は迷った末に罪悪感すら残ります。どちらにしても残された家族にとっては悲しみが大きいのですが、本人の意思がリビング・ウイルをとして示されていれば、後悔は少なくなると思います。自分が決めた最期を迎えられる、、そのためにリビング・ウイルが多くの人に理解してもらえるようになっていってほしいです。(福岡県)
  • 普段からかかりつけ医にリビング・ウイルを提示し、尊厳死や平穏死の書籍を持参して死の考え方について理解を得ようとしましたが、「そのような考え方に傾倒するのは反対である」と告げられました。その医師は熱心に医業に取り組んでいる方で、普段から感謝しているものの、夫(81歳)の深い思いが伝わらず残念でした。生きるための治療と、死を迎える思いの微妙なずれであったと思います。しかし最期は暖かで穏やかな在宅訪問医と看護師さんに囲まれ、安らかに旅立ちました。(奈良県)
  • 母(95歳)の晩年は認知症で、意思を明確に把握することができませんでした。しかし母はリビング・ウイルを持っていて、以前から死の局面でどうして欲しいかを聞いていたので、遺族が程度の差こそあれ誰でも抱くであろう悔いや喪失感をほんの少しでも軽減してくれたと思います。(東京都)
  • 今回の父(82歳)の尊厳死にあたっては、7年前の母のときに比べて格段に尊厳死の意味が浸透しており、理想的な形でその時を穏やかに迎えることができました。母の時は、医師や施設に関しては同意通りに進みましたが、一番の問題は親戚だったように思います。親戚から「どうして病院に連れて行って治療をしないのか」と言われました。説明してもなかなか理解が得られずに、最後は協会の会員証や書類を見せて何とか理解を得ました。今回父の望み通りに点滴も酸素マスクもつけず、まるで木が枯れていくようにゆっくりと痩せていく父の姿は立派なものでした。それを1か月毎日見守る私たち家族も強い精神力が必要でした。尊厳死、この言葉は今や広く知られるようになりましたが、きっと尊厳死を受け入れなくてはならない家族こそが情報を多く得て、尊厳死を迎える心を作っておくことが大切だと思いました。そのためにも協会の役割は大きいと思います。(神奈川県)
  • 肺炎で入院した母(86歳)につけられた点滴ラインのほとんどが、潰れてダメになってきた時かなり辛かったようで、母はこれ以上の新たな点滴ラインの確保は拒否しました。急性期病院では聞き入れてもらえないだろうと思っていましたが、予想に反して担当医は他の医師とも相談の上点滴なしの方向を探ると言ってくれました。苦しくなった場合は、強い薬を使用して苦痛を取るとも言ってくれました。母のリビング・ウイルに、ここまで理解を示してくれる先生方を本当に有難いと思いました。それから1か月後母は亡くなり、治療と延命措置のラインのあいまいさを実感しましたが、基本は本人の気持ち次第と理解しました。(神奈川県)
  • 父(95歳)は無口で、協会のことを聞いた記憶はありません。私が父の入会を知ったのは、郵便受けに入っていた会報をみたからだったように記憶しています。入会していたことを知った時は、正直ショックでした。随分寂しい思いをさせていたのだと、悲しく申し訳なく思いました。父が入会したのは、母が癌で苦しんだ後亡くなったことも影響していると思います。それを思い、私も入会しました。父は少しずつ病が増え、入退院を繰り返すようになりました。私はその都度父の会員証を見せて希望を伝え、その通りの措置をしてもらうことができました。ついに父が亡くなった報を受け、駆け付けたときに見た父の顔は、とても穏やかで普段通りに寝ているようでした。父は戦争で苦しみ、戦後の生活で苦しみ、子育てで苦しみ、辛く悲しい思いを沢山してきたのだろうと思います。しかしそれらを見せず、語らず、隠忍自重して生きてきたのだと思います。ようやく心安らかになれる、そんな顔でした。父や私の希望を受け入れてくれた医療・介護関係者には心から感謝しています。ただ、私が行ってきたことは本当にこれで良かったのか、本当に父の希望通りだったのかは分かりません。私の最期の時に神様が教えて下さると思っています。(栃木県)
  • 母(95歳)は、会報が届く時だけ入会していることを思い出す程度で、会費を納めるのを忘れる時もあり、もう退会してもいいとも言っていました。しかしいよいよ終末期と思われる段階になって、本人から「先生にあのカードを見せて、尊厳死協会のことを伝えて!延命だけの治療はしないで、苦しくないようにお願いして!」と言われました。弱っていた母がそれをはっきり家族に伝えたのは驚きでした。協会のことをしっかり覚えていたのですね。終末期の医療について判断を求められるのは本人ではなく、家族であることが多いと思います。その時に本人の意思として協会の会員であり、カードを持っていることが分かっていれば、医師に伝えられることが多いと思います。(滋賀県)
  • 尊厳死を望んだ者の家族は、ある「難しさ」に直面することがあります。本人の尊厳死への思いが強固であればあるほど尊厳死を拡大解釈して検査や健診まで拒否し、医療者と深い溝ができてしまうことです。本人と医療者との間で板挟みになる家族は、どこまでの医療が必要で、どこからが「本人らしさ」を損ねるものなのか、悩みます。このような中で正論を振りかざすだけでなく、間に入って親身にコミュニケーションをとってくれる役割の方がおられると有難いと思いました。(東京都)
  • 義父(80歳)は普段から「尊厳死協会に入っているからその時はよろしく」と話しており、義父の信念は家族に伝わっていました。今考えると、肺がんで余命宣告されてから「死」について話し合うのだとしたら、それはお互いにとって精神的に苦しいことになったと思います。普段から皆が共通認識のもとで、尊厳ある死について前向きに考えることができたのはよかったです。死を語ることは、より良く生きるためにとても重要であると思いましたし、送った家族にとっても本人の意思を尊重できたお別れは、今後の人生を前向きに受け入れるための貴重な経験となりました。(沖縄県)
  • 歩いて入院した夫(84歳)が100日後に亡くなるとは思っていなかったので、その間の私の対処は後悔ばかりです。コロナによる制限のため面会もわずか5分から10分の2回のみでした。夫との60年の生活にピリオドを打てず今に至っています。(広島県)
  • 夫(76歳)が急性大動脈解離のため救急車で運ばれる時、「協会のカードは持ったか?」と苦しい中、私に言いました。手術室に入る時には「お母さんありがとう、今までありがとう、何もかもありがとう」と言い、子供たちの名前を言って「皆ありがとう」と言っていました。「自分はもう死ぬんだ」という気持ちだったのでしょう。手術が成功し、「自分は助かったんだ。生きたい。生きられるかも」と生きる力が湧いてきたので、その後の苦しい治療を1か月頑張ることが出来たようです。再び解離が起きて夫は亡くなりました。私は「1か月も苦しい思いをさせて本当に申し訳ない」という気持ちと、「僅かでも治る見込みがあるなら頑張って生きてほしい」という気持ちの両方がありました。迷いなくこの意思表示をできるのは、本当に回復の見込みがない時だけだと思いました。今後私がそのような状態になった時、子供たちは迷うかもしれません。(埼玉県)
  • 母(93歳)が食べることができなくなった時、病院から中心静脈栄養についての説明を受けました。家族としては、胃ろうをせず点滴による水分補給のみにすることは心情的にどうしても認めることができなかったため、中心静脈栄養が唯一の選択肢でした。しかし措置開始後、母の顔からは笑顔が消え、言葉もなくなりました。身体が終わりへと向かっているのに無理に栄養や水分を入れ、苦痛をまねいているように感じました。その後中心静脈栄養の針が血管に入らなくなり、亡くなるまでの2か月間点滴による水分補給だけになりどんどん痩せていきましたが、顔を見ると安らかな表情に変わったように思いました。今でも中心静脈栄養を選択し、生存を1年間のばしたことが良かったのか、母の意向に沿わなかったのではないか、と考えます。結果的に本人の苦痛を無視した家族の自己満足にすぎなかったのかもしれません。(北海道)
  • 義父(84歳)と私たち息子夫婦の間では普段から十分なコミュニケーションが取れていたので、本人の意思の尊重という点においてはリビング・ウイルはなくても大丈夫でしたが、親戚の理解や納得を得るのが面倒だろうということで義父は気配りをしてくれたのだと思います。(京都府)
  • 両親が協会に入会していたことをキーパーソンであるはずの私(娘)が知らなかったため、主治医から延命措置の希望について何度も説明して頂くことになってしまいました。当初私は父(89歳)の延命を望んでいたのですが、結果的に延命しないことにしたため偶然父の希望にあう形になり良かったと思いました。ところが父が亡くなったあと、一緒に入会したはずの母が延命した方が良かったと言い出したため、私の選択は正しかったのか疑問に思うところもあります。(埼玉県)

2021年の遺族様アンケートでは、収束の気配を見せないコロナ禍で「さよならのない別れ」(1月号会報柳田邦男氏)を受け止められない苦しいお気持ちや、コミュニケーションが制限される状況だからこそ元気な時から話し合い、準備していたリビング・ウイル(LW)があってよかったというお便りをいただきました。

2021年は635人の方から回答をいただきました。532人(84%)が医療者にLWを提示し、「LWが十分に受け入れられたと思う」方が74%、「どちらかといえば受け入れられたと思う」方が19%。93%のご遺族がLWの効果を感じておられました。ご家族にとってLWがどういう意味を持ったかという問いに対しては、下図の通りです。

お持ちのLWの効果を高めるには、特に以下の3点があげられます。

  • 普段から家族と話し合い、LWのコピーを渡しておく。
  • 家族がおられない場合は、行政やケアマネージャーとの関わりの中で意思を伝える。
    地域包括支援センター、市町村の高齢者担当課、福祉担当課に、自分が希望する生活のしかたや最期のありかたについて相談する。
  • 医療者にはためらわずに意思を伝え、特に痛みを取り除く希望は強く求める。

ご家族に意思を伝える際、「迷惑をかけたくないから」という表現は、伝えられた方が悩みます。そのように伝えられたご家族は「本人は本当は延命したいけれど、それだと家族に迷惑がかかるからやめておくのだ」と感じ、延命を断ることは「自分の我慢や愛情が足りないせいだ」と自分を責めるまでになってしまうのです。そうではなく、自分の希望だと伝えることで、ご家族は罪悪感や後悔なく本人の「尊厳死の希望」を支えることができ、その方が亡くなられた後も悲しみの中に「支え通した」という達成感を感じることができ、生き続ける力(レジリエンス)につながります。

アンケートにご協力くださいました方々に深く感謝申し上げます。