LW時代(3)
「在宅医療」推進にこそLW
一般財団法人日本尊厳死協会
理事 白井 正夫
在宅医療というと、NHKテレビの土曜ドラマ「家で死ぬということ」が忘れられない。もう4年前の放送になる。国が〝在宅医療元年〟を宣言(2012年)したころで、地域医療のキーワードになりつつあった「在宅」「家で」の意味を考えさせられる作品だった。
合掌集落で知られる白川郷(岐阜県)を舞台に、がんで余命3か月を宣告された母(渡辺美佐子)が、1人娘が暮らす東京の病院への入院を断り、家で生を終える話である。
ドラマは、説得にやってきた娘の夫(高橋克典)が、「皆をしまってきたこの家で、自分をしまいたい」と願う義母の気持ちを次第に理解していく姿を描いた。「しまう」とは「最期を看取る」ことで、18歳で嫁入りしてきた母は、大舅、姑らをこの家でしまってきた。
「家で」といっても並大抵のことではない。長期休暇をとり義母の介護にあたる娘の夫、患者に寄り添う診療所の医師、村人が支え合って生きていく「結い」の存在。ドラマには在宅医療、在宅看取りを支え合う幾つかのファクターが詰まっていた。ともすれば心地よく響く「在宅医療」という言葉に潜む現実の厳しさを思い知った。
まだ病院に集中 亡くなった場所
「リビングウイル(LW)」を持つ人の死亡状況について日本尊厳死協会が毎年行う「ご遺族アンケート」がある。調査項目のなかに「亡くなった場所」があり、2015年では病院63%、自宅19%、ホスピス4%、高齢者施設12%などだった。人口動態統計(14年度)の病院死77%と比べ、LWを持つ人の方が〝病院集中〟から解放され、自宅や高齢者施設などの割合が高く、看取り場所が相対的に広がっている。
死亡場所を話題にするのは、超高齢多死社会に備えて国が推進する医療供給体制の大変換のバロメーターになるからだ。「在宅医療」シフトを広げる一環として、8割だった病院死(診療所を含む)を6割に引き下げる目標が掲げられたのがドラマが放送されたころだった。 75歳以上の後期高齢者は10年後には1.4倍の2179万人に膨らむ。膨張する医療ニーズに見合う医師、看護師を増やすのにも限界はある。年間医療費85万円(現役世代の5倍)を使うとされる75歳以上の人の増大は即医療財政の膨張に直結する。
重くのしかかる 「25年」問題
これまでの病院中心体制では医療供給面でも医療財政面でも対応できないことは明白だ。辛口批評になってしまうが、この「2025年問題」を病院医療よりコストが低い「在宅医療」でしのごうという算段だ。
統計をさかのぼると、1951年には自宅死83%、病院死12%の数字がある。かつて生老病死は家族のいる「生活の場」で当たり前のように起こっていた。その後、医療の発達、医療施設の充実、家族の変化が相まって自宅死が減り、病院死との割合が逆転したのが1976年。 日本尊厳死協会が設立されて日本で初めて終末期医療の意思表明書である「LW」が発行された年と重なる。LW運動に携わる者としては、歴史の転換という何かを感じる。
さて、医療供給体制の大転換を「時々入院、ほぼ在宅」と表したのは言い得て妙だった。ドラマ放送から2年後、2014年度の診療報酬改定の新聞記事に付いた見出しである。過剰に増えた急性期病床を削減し(9万床)、これで浮いた医療者や医療費を在宅医療に向けようとした。そして、2016年度の診療報酬改定案では、「在宅医療専門」の診療所を認めることが盛り込まれた。
LW持つ人は10年先を歩む
国は診療報酬改定という政策誘導で次々と在宅医療推進策を打ち出してきた。だが、人口動態統計を見る限り「病院死」の割合は05年の82%をピークに年々漸減するが依然として高いレベルにある。代わって3%にすぎなかった「高齢者施設での死」が漸増している。病状が急変しても、本人意思が尊重されて病院に救急搬送されずに対応されるようになった。しかし、総じて日本人の病院医療信仰はまだ根強い。
ちなみに国民全体の病院死77%(14年度)という数値は、尊厳死協会会員でみると10年前のレベルである。「LWを持つ人は時代の10年先を歩んでいる」と言ったら言い過ぎだろうか。
病院死の割合が高いからといって「病院死が悪い」というのではない。ただ病院という一極集中から解放されて看取りの場所が広がるのは、患者にとって最期の生き方の選択肢が多様になることでもある。「在宅医療の推進」の決め手は、意外や「LWの普及」かもしれない。
なお、協会の「ご遺族アンケート(2015年)」では、「LWが最期の医療に生かされた」は90%だった。