LW時代(4)

LWの神髄は考える、話し合う

一般財団法人日本尊厳死協会
理事 白井 正夫

先日、東京・永田町の国会議員会館で「リビングウイルの日米事情」シンポジウムがあった。終末期医療の諸制度が整う米国事例の発表に対し、日本側の発表は独自のLWを発行する信州の小さなまちの事例だった。発表前、壮大な合衆国と小さなまちでは比べようもないと思ったのは、どうも私の心得違いだった。

終末期医療について法律一つない日本でも最近、自治体発行のリビングウイル(LW、意思表明書)が見られるようになった。長野県北部の須高地域医療福祉協議会(須坂市、小布施町、高山村)が発行する『終末期医療・ケアについての生前の意思表明』もその一つである。

LWを発行した信州の小さなまち

3市町村合わせて人口約7万人で、高齢化率30%超。ごく普通の山村風景が浮かぶが、中心の須坂市は戦後の健康・信州を支えた「保健補導員」発祥の地で、県内17市で介護保険料が最も安いと聞くと、風景のイメージが変わる。

「在宅で看取りができる須高地域づくり」を掲げ、住民への啓発活動を丁寧につづけ、翌年、本人用のLWと家族、関係者用の『やすらかな看取りのために』(いずれもA4版)を発行した。

LWの内容は「延命のための人工呼吸器」「胃ろうによる栄養補給」などを希望する、希望しないを表明するごくありふれたスタイル。常に持ち歩けるよう携帯カード付きである。LWは3市町村の庁舎、公共施設、医療機関などに置かれ、住民が自由に手にすることができる。これまでに1700部が配布された。

こうした説明があると、その成果を聞きたくなるのは人間の常だ。これまで何人がLWに記入し、何人が希望通りの最期を迎えたのですか?

重くのしかかる 「25年」問題

これまでの病院中心体制では医療供給面でも医療財政面でも対応できないことは明白だ。辛口批評になってしまうが、この「2025年問題」を病院医療よりコストが低い「在宅医療」でしのごうという算段だ。
統計をさかのぼると、1951年には自宅死83%、病院死12%の数字がある。かつて生老病死は家族のいる「生活の場」で当たり前のように起こっていた。その後、医療の発達、医療施設の充実、家族の変化が相まって自宅死が減り、病院死との割合が逆転したのが1976年。 日本尊厳死協会が設立されて日本で初めて終末期医療の意思表明書である「LW」が発行された年と重なる。LW運動に携わる者としては、歴史の転換という何かを感じる。
さて、医療供給体制の大転換を「時々入院、ほぼ在宅」と表したのは言い得て妙だった。ドラマ放送から2年後、2014年度の診療報酬改定の新聞記事に付いた見出しである。過剰に増えた急性期病床を削減し(9万床)、これで浮いた医療者や医療費を在宅医療に向けようとした。そして、2016年度の診療報酬改定案では、「在宅医療専門」の診療所を認めることが盛り込まれた。

成果主義ではなく地域の文化育む

樽井さんの答えが、小さなまちの心意気を表していた。「大切なのは、死をタブー視しないで、元気なときから『自分の最期を考える文化を育む』ことなのです」と。LWは〝考える地域文化〟の創造だから、LW記入者が〇人、亡くなった人が〇人という数字の答えはなかった。 LW文化論は、LWの表紙や中ページの作りにも表れていた。こうした文書になると、経費節減から職員が制作を担当し、文字だけが並ぶ公文書調になりがち。地域協議会は、費用をかけて本職のデザイナーに作らせた。これも文化である。

カラフルな表紙は、雛鳥を引き連れた親鳥のかわいらしいイラスト。リビングウイルのタイトルのほかに上に小さく「ハッピーエンド計画 もしものとき笑顔でいられるために」のキャッチコピーがひときわ目立つ。ご家族、関係者用の「看取りパンフ」も、落ち着いたカラーのデザインで、これなら「死」と敬遠せずに、気軽に手にできる作りだと思った。

国会議員の質問に答え、樽井さんは「LWを一つのツールとして、最期の迎え方について家族とよく話し合うきっかけになってくれれば」と話した。家族構成や家族関係が変わってきたといえ、須高地域も「長男の嫁」が親を介護し、看護する家が多い。「わがまちのLW」で住民が自分の最期を考え、それをサポートするはずの家族と話し合えれば、こんなに心強いことはない。

私たちはともすれば成果主義に陥りやすい。でも大事なのは「そのLWで何人が希望通り亡くなったのか」ではない。「小さなまち」のあちこちに置かれているLWが〝LWの神髄〟を教えてくれている。