特別座談会「最期をライオンのように」
首相時代に尊厳死資料集め
岩尾 本日は小泉純一郎さんをお迎えしました。小泉さんは2006年に終身会員として尊厳死協会に入会されました。会員になられたときは現役の首相で、当時の新聞にも「首相、『延命拒否』の協会に」と大きく報道されました。
小泉 ずーっと以前からね、お見舞いに行った病院で意識もないのに〝スパゲッティ状態〟でいる人を見かけることがあって、あれはよくないと思っていた。昔の人は治療の手立てもなく、食事も摂れなくなったら老衰で死んでいった。自然とね。できたら自分もそうありたいと思い、尊厳死協会の資料集めもしました。食事を絶って、痛みだけ消してもらって死にたいなあという気持ちからです。
岩尾 食事を絶ってというのは強い思いのようですが・・・
小泉 私は動物のドキュメンタリーが好きで、ライオンの生態を長年追った記録映像が強く印象に残っている。メスや子の群れを引き連れたオスのボスライオンもだんだん年とって老いてくると、放浪の若いオスとの闘いに敗れて群れを乗っ取られる。深手を負ったボスはエサもとれないから、群れを離れたところでじーっとして目から鼻から寄生虫にたかられながら払おうともせず、死んでいく。絶食状態では痛みを感じないじゃないかね。ああいう動物を見ていると、自分でエサを摂れなくなったら自然に死んでいくんだよ。
大自然の摂理だ。それに比べて人間は自分で食べられなくとも流動食があるし、介護してくれる人もいるからね。私も自分で食事ができない、酒も飲めないとなったら、昔の人みたいに静かに死ねればいいと思っている。私の祖父(又次郎氏=元衆議院議員)はね、歳のとき昼間は遊んでいたその夜に死んでいった。
会員、元首相 小泉純一郎さん
10年来の会員である元首相、小泉純一郎さんを囲んで協会の岩尾總一郎理事長、鈴木裕也、長尾和宏両副理事長が語り合った。
箱根で軽くゴルフをしたあとで、話は最期の在り方から健康法、首相時代のエピソードまではずんだ。
ーー昨年8月に亡くなられた小泉さんの姉︑小泉道子さんも年来の会員でした。
小泉 姉は84歳でした。私の長男、孝太郎(俳優)、次男の進次郎(衆議院議員)が幼かったころから母親代わりをつとめてくれて、ほんとうにうちの大黒柱的存在だったんです。だんだん食事が摂れなくなっていましたが、最後まで意識はしっかりして、私が見舞った翌朝、穏やかに永遠の眠りにつきました。延命治療を控えて痛みだけはとってくださいとお願いし、医師もわかってくれました。
枯れて痛み和らげれば
鈴木 神様は寿命が来きたときには苦しまずにしてくれている。実は私の母親もそうでした。私は講演会でよく「秋にはコウロギは全部死ぬが、のたうちまわっているのを見たことがないでしょう」と話します。
小泉 食べられなくなったら自然の経過に委ねれば痛みを和らげる作用があるのではないかね。
岩尾 長尾さん、医師サイドからすると栄養補給など何もしないというのは「餓死で死なせることになる」という人が結構いますね。
長尾 私は在宅医療をやっており、これまで千人ぐらいの患者さんを診てきました。食べられなくなるとだんだん細ってくるのを自然の経過に任せると、おっしゃったように痛みがなく、あっても知れている。ゴッツイ痛み止めを使わなくていいんです。 ところが病院にいくといっぱい栄養補給するから苦しむんです。
で、たくさんモルヒネを使って最後は半分くらいは鎮静剤で人工的に眠らせる。意識があるのにね。がんでも老衰でも何かを口にしています。そこで少しずつ枯れていくと苦痛が少ない。たくさん栄養をやり過ぎると、体が受け付けず、苦しみながら早く死ぬんです。私はそういう本をたくさん書いています。
噛むかむ健康法
小泉 それがいいなあ。ところでいまは歳すぎても元気で歩き、ゴルフしている人が大勢いる。私らが若い時分には思いもよらなかったが。
私の親父(純也氏=元防衛庁長官)は65歳で肺がんで亡くなったから自分も65歳までは一生懸命現役でがんばり、それを過ぎたら国会議員も引退しようと前から考ええていた。その後はね、何歳まで生きるかわからないけれど、できたら祖父みたいに座布団挟んで孫と花札でコイコイして遊んだり、朝顔をつくったり盆栽をいじったり。ああいう生活がいいなあと思っていた。いま考えてみて、70過ぎて結構元気でいる。
鈴木 子どもというのは親の死んだ年齢を気にするものですね。
小泉 それでね、元気でいるには体操もいいなあと思って、親しい人から真向法がいいですよと言われて半年前からやりだした。4種類の運動で腰や背中の筋を伸ばすわずかな運動ですよ。最初はモモや足の筋は痛くなるしできなかった。先生についているわけでなく、本を送ってもらって写真の通りに運動をやっているうちに、柔軟体操みたいなのができるようになった。
ーー箱根で車を降りてからの小泉さんの歩幅には感心しました。
小泉 もともと歩くのは早いんだ。それでね、よく年寄りに歩かないと骨粗しょう症になるというけれど、歩けなくなる前によく歩いておきなさいと言いたい。骨粗しょう症になってからメザシとか小魚がいいから食べろといっても、そりゃ無理だ。食べれるうちに栄養バランスを考えて、たまには肉を食べてね。 私ね、家族に食事に厳しい食事療法の先生がいたんです。その先生がしょっちゅう家に遊びに来ていて、子供のころおなかをこわしたとき「お粥は必要ない。普通のご飯を甘くなるまで噛みなさい」と教えられた。ご飯でも肉、魚、野菜でも噛んで、噛んで噛め」と教えられた。ご飯でも肉、魚、野菜でも噛んで、噛んで噛めば必ず甘くなる。そうすると唾液が出て胃腸にもよい作用がある。
鈴木 それは医学的にも正しいです。ご飯をよく噛めば胃の中ではいいお粥になる。
小泉 夏の会合などで弁当が出て少し匂いがある場合がある。出されたものは食べないわけにいかないから、そういうときは甘くなるまで噛むとお腹をこわさない(。笑い)甘くなるまで噛んだ人はほとんどいないだろうし、みんな知らないんじゃないか。私はいまでも食事はできるだけ噛むようにしている。
大雑把でいい、わかれば
岩尾 外側から見ていますと、首相経験者は就任したときと比べ辞められるときの顔がなんとなく険しいですね。仕事のなせる業でしょうが、小泉さんはいまの方が元気で若返って見えます。
小泉 それはそう、はるかに元気ですよ。総理を辞め、重圧と束縛から解放されて10年がたちますから。総理時代はゴルフだって1回もやってなかった。体操とか運動をする気もないもの。毎日疲れて、寝て、朝は目覚まし時計に早く起こされ、うーん二度寝もできないしね。目が覚めれば国会での答弁資料を読んでさ。
岩尾 小泉さんは国会でもあまり答弁書通りにお答えになっていなかったみたいですね。
小泉 いちいち読みあげるのは少なかったね。でも答弁書は事前に一応読んで頭に入れ、全体を間違えないようにしていた。外務、厚生省などが想定問答集を作成するが、野党の質問趣意が届くのが遅いから徹夜作業になる場合が多い。あるとき、俺たちは徹夜で用意しているのに総理はちっとも読んでくれないという不満を聞いた。いや、想定集を読んでいるから大体こういうことかと理解でき、自分の言葉で答えられる。心配するな、だから失言しないんだ。(笑い)
岩尾 私の厚生省の経験から、総理になられても大体読み流すなあと理解していましたけど。
小泉 大雑把でいいから、わかりやすく自分の言葉で国民に向かい合う方がいい。いまちょっとしたぶら下がり取材でもペーパーを読んで説明する大臣をテレビで見かける。あれはよくない。
鈴木 その束縛から解放されて、(飲む仕草をして)こっちの方はどうですか。
小泉 毎日飲んでいます。私は顔に出ないたちですが、昔から謡われるように大体2ゴウまで(笑い)。
酒気帯び会見もあった
酒というと、あの郵政解散の8月8日(2005年)のことを思い出すなあ。 参議院本会議で郵政民営化法案が否決されて国会解散となるのですが、夕方6時から経団連幹部らとの会合が入っていた。数か月前からの約束で止めるわけにいかないので、一緒に食べながらということで会食弁当が出た。弁当のおかずがおつまみにぴったりだ。で、顔に出ないから大丈夫だと日本酒を出してもらった。もうやめた方がいいですと言われながら、2、3合飲んだ。それから夜8時に郵政解散の記者会見をやったんだが、実は酒気帯び会見だった。今だから言えるけどね。
鈴木 毎日少しずつでも酒を飲めるのは健康の証しですね。
小泉 私ね、2006年の9月に総理を辞めてからしばらくして健康診断を受けたら、血糖値が主治医もびっくりするほど上がっていた。そういえば総理を辞めてからずーっと外食ばかりで肉とかばかり食べていた。それから3か月、家でほとんど野菜ばかりを煮たり炒めたりして食べた。まあ8割は野菜で過ごしたら、正常値に戻っていた。食事が健康のためにいかに大切かとわかった。
百寿6万人とはすごい
岩尾 小泉さんは新年早々歳を迎え、後期高齢者となります。年齢の区切りを意識しますか。
小泉 いや、全然意識しないね。いまは年齢に関係なく元気な高齢者が増えたしね。私が初めて厚生大臣になる前年の昭和62年(1987年)に百歳長寿者が2千人を超えたが、いまは6万人を超えている。すごい時代だ。その8~9割が女性だという。個人的に思うんだが、男性に比べて暴飲暴食しない、家で休養が多いからだね(笑い)。厚生大臣の時に、健康の秘訣はまずバランスとれた食生活、2番目に適度な運動、そして十分な休養といっていた。特に休養がいいというのは自分も引退してからの経験でよくわかったよ。
長尾 長生きに女性が多いのは遺伝子で決まっていることでして、ご意見にはびっくりします。
岩尾 いま百歳で健康長寿を実現した方を「センテナリアン(Centenarian)」と呼ぶ言葉が生まれているほどです。ストレスの少ない人が多いようで、健康長寿の秘密の解明も幾つかの医学部で取り組んでいます。
ーー協会会員の百歳長寿者は272人で、女性が204人。歳代の会員は1万人を超します。
長尾 町医者の私が看ている百寿者もいま人位おられ、全員が在宅医療です。なぜ百歳まで到達できたかというと、死ぬような病気にかからなかったからです。
日本では百寿者の8割が要介護状態と言われています。高齢者は筋力や活動性が次第に低下し、この状態を「フレイル」と呼び、ここから要介護状態になることを防ぐ方策が検討されています。フレイルの判定の一つに歩行速度がありますが、小泉さんのあの足早ならこれからも大丈夫ですよ。
3・11で私の余生変わった
岩尾 日本は超高齢社会にあり、2025年には高齢者人口が3500万人とピークを迎えます。これだけ多くの方が年を取って生きていくときに、やりがいを持つことは健やかに生きるために大きい。ただ病院に寝ているだけというのは、自分の人生、自分の物語を閉じるにしては少し寂しいなあと思いますね。
小泉 先ほど話したように私も親父の年齢を意識していたが、幸いにして歳で総理大臣になって歳で辞めた。あとは余生だと思っていたが、まさかその後に「原発ゼロ運動」にこれだけ情熱を燃やすとは思ってもみなかったね。人生の残されたやりがいというか。
終章に生きがいあれば
鈴木 それは人生の最期の充実感に通じ、何であれ、やりがいを持てることは非常によいことです。
小泉 誰でも年をとっても自分が楽しいと思うことをやりたいでしょう。読書、ゴルフ、花札だっていい。最近、男性で料理をやる人が増えている。私は若い時から1日何か読まないといられない習慣がついて、いまは好きな小説を自分の時間のなかで心ゆくまで読めるのがいいね。好きな本だとどんどん進む。不思議だね。
岩尾 よく国会演説で上杉鷹山とか越後の長岡藩のお話を挟まれましたが、読書から得たものですか。
小泉 時代小説、歴史小説が好きだからね。ただ2011年3月日の東日本大震災の前の話で、福島第一原発事故が起きて以降は、講演を頼まれると「日本は原発なしでもやっていける」という話をしている。自分で原発の勉強をして、いままで原発推進者が言っていた「原発は安全、コストが一番安い、永遠のクリーンエネルギー」という三大スローガンが偽りだとわかった。いま講演は大体80分か90分、立ったままやっています。興味を持ち、自分でもやりがいが持てることだからね。
岩尾 超高齢社会をやりがいを持って生き切るというのはすばらしいことです。小泉さんの元気さも心強い限りです。これを機会にぜひ新年から日本尊厳死協会顧問としてご活躍をお願いしたいのですが。
小泉 はい、わかりました。
こいずみ・じゅんいちろう 元首相(2001年4月~2006年9月)。30歳で代議士となり、厚生大臣、郵政大臣を歴任。派閥に頼らず自民党総裁選に立候補、「自民党をぶっ壊す」発言などで「変わり者」視されたが、本人は「常識人」と。首相となって「郵政解散」をバネに持論の郵政民営化を実現。政界を引退して「3・11」後は、「原発ゼロ」運動で飛び回る。 1942年生まれ、慶応義塾大経済学部卒。
いわお・そういちろう/日本尊厳死協会理事長、医師。元厚生労働省医政局長、慶應義塾大学医学部客員教授。1947年生まれ、慶應義塾大学医学部卒。(右2人目)
すずき・ゆたか/日本尊厳死協会副理事長、医師。元埼玉社会保険病院院長。1943年生まれ、慶應義塾大学医学部卒。(右端)
ながお・かずひろ/日本尊厳死協会副理事長、医師。「長尾クリニック」(兵庫県尼崎市)院長。1958年生まれ、東京医科大学卒。(左端)