インタビュー・その瞬間まで私らしく 自分で探した尊厳死協会

木内みどりさんは、40代半ばで日本尊厳死協会の会員となり20年余。その思いを東京・六本木のオフィスで鈴木裕也副理事長がインタビューした。

65歳を迎えてますますお元気ですね。協会は今年設立40周年を迎えますが、会員の平均年齢は77歳です。高齢者が多いなかでは早い入会ですが、何かきっかけが。

父が病院内の事故で亡くなったとき、病院や医療の恐ろしさを実感しました。病院では死にたくないと思いました。10代のころから「いつも自分らしくいたい」という気持ちがすごくあって、自分の人生の最期の決定権は持っていたい、医療者の勝手にされたくないと思っていました。

誰かに勧められたのではなく、ご自分の意思で、ですか。

そうです。自分で尊厳死協会を探したのです。自分の人生は自分のもの、他人に依存したり踏み込まれたりしたくない「へそ曲がり」なんです(笑い)。 誰でも必ず死ぬ訳でその「死の時」は選べません。どんなにお金持ちでも権力者でも自由にはできない。いきなり訪れる「Xデー」に対応する心構えは持っていたいと思ってきました。「自分なりに最期はこうありたい」と決めておけば、「どう生きるか」ということも自ずと決まると、そう思っています。

はっきりした死生観をお持ちのように感じますが。

はい、ブータンに行ったことがあるのですが、チベット仏教に心惹かれ、たくさんの本を読みました。日本の仏教とは大いに違う。ブータンではどこの家族からも一人や二人はお坊さんになるそうで、家族の希望で出された幼い少年僧も多く見かけます。 僧籍にある人は自分の物を持たない、自分の時間も持たない人生を選んだ人で、厳しい質素な生活を実践します。そういう姿があちこちに存在するから、いつの間にかどの人も世界は物質だけでないと感じるのだと思います。

その人らしさ捨てブータンの死生観

ブータン人の友達がわたしの家に泊ったとき、こんなことがありました。一緒に電車に乗っていて、「見て見て、あの人、具合が悪そうだよ。ほっといていいの?」と聞くんです。悩みを抱え、疲れ切ったように頭を垂れている人を見て、ドキドキするというのです。ほっておけないんですね。
ブータンでは誰かが死ぬとその瞬間から「その人らしかったもの」を捨てます。遺体の取り扱いも葬儀の仕方も日本とは大いに異なるようです。四十九日後に転生するときまでに、それぞれの人生から解放されることが最も大切なのです。だから思い出写真などもビリビリ。火葬の後の灰も土と混ぜて土饅頭にして水車小屋に並べます。お墓なんです。この時期にブータンで感じたことと生来の「へそ曲がり」が一気にまとまり、わたしの「生き方と死に方」がはっきりしていきました。

そうするとご家族とは…

夫(水野誠一氏=元西武百貨店社長)も協会会員でここ一、二年人生の最期についてはしょっちゅう話し合っています。お寺での葬儀は一切なし、戒名などもってのほか。骨壺、あの白い磁器に入れられて針金でぐるぐる巻かれるのも拒否。

やがて土へ還るよう灰は骨壷でなく木箱

「骨箱」を考えているのです。デザイン・サイズもだいたい決まり、試作品がそろそろ上がってきます。骨壺は土に還らないけれど、骨箱ならやがて地に還りますから。その骨箱を埋める場所も決めました。誰も行かない山奥です。死んだらわたしのことなど、とっとと忘れてほしい。これが素直な希望です。

「へそ曲がり」から言うとうかつ過ぎませんか

芸能生活は半世紀とうかがいました。この道へ進まれたのは。

わたしの「へそ曲がり」は小さいときからで、母はその辺を見抜いていたから、それを傷つけないように育ててくれたんだと、わたし自身も子どもを授かり育ててみて今ごろ気づくんです。「へそ曲がり」をお勧めします(笑い)。
結局、学校へ行くのが嫌で、16歳のとき登校をやめたんです。どうしたらよいか悩んでいたある日、新聞に「劇団四季」の文字を見つけて飛び込んでみました。人とうまくやれない自分でも、「劇団」という場所では生きていけるかもしれないと思いました。

木内さんというと、NHKテレビのドキュメンタリードラマ『巻子の言霊~』(2012年放送)が思い浮かびます。交通事故で全身まひとなり、瞼しか動かせない巻子さん役を演じました。

このドラマは、2006年に事故で、寝たきりになった巻子さんの夫で、看病を続けた富山の松尾幸郎さんが発信されたことがきっかけで始まりました。経緯を知った作家・柳原三佳さんが本を出版、それを読んだ東北新社のプロデューサーがドラマ化したいと企画、NHKで実現しました。8年後、巻子さんが亡くなられ、松尾さんはお嬢さんの住む米国に引っ越されましたが、交通事故被害者の悔しい思い、終末期医療に対する法整備がない日本の状況を看病しながら世に訴える運動を続けられた。わたしの敬愛する日本人です。
終の棲家を米国に決めた松尾さんから「後はあなたが…」と言われました。託された責任を感じて、フォーラムや集会で松尾さんが書かれた文章を読み、巻子さんが綴られた文章を朗読します。

「巻子の言霊」伝えるやれば大きな力に

すると「事実」の重み、迫力が伝わり、シーンとした会場で嗚咽の声がもれ、ため息が聞こえる。皆さん、わが身に起きるかもしれないと実感してくださるのです。でもね、この朗読会、続けたいのですが、こうしたお金にならない企画は誰かが発奮して動かなければ実現しません。難しいところです。

数多くの出演作品には終末期医療がテーマの作品もありますね。

伊丹十三監督の『大病人』(1993年)という映画をご覧になったでしょうか? 三國連太郎さんが演じた末期がん患者に病名も余命も告知しない医師・津川雅彦、この医師に逆らう看護師を演じました。20年前の力強い作品です。患者、家族と医師、看護師それぞれの関係は今もあまり変わっていないようです。

『大病人』で法制化台湾看護師のガッツ

これは台湾でのお話です。女性看護師で大学教授の趙可式(チャオ・クー・シー)さんが「大病人」(中国語版)を全国会議員に見せて、延命措置中止などの法整備の必要を説いて回ったそうです。死に逝く人が置かれたひどい状況を描き切っているこの映画を通して議論を重ね、ついに法制化(安寧緩和医療条例、2000年)が実現されました。画期的なことです。日本ではいつ、法制化できるか、人々の関心も薄く、どうしたらいいのでしょう…

真の豊かさ知る女性役誇り高く演じました

木内さんは3年前、黒柳徹子さんの「徹子の部屋」(テレビ朝日)に出演し、「還暦をすぎて、今後おばあさんになることを受け容れて」と話していますが、どうして、どうして。木内流エイジングを感じます。

脱原発集会で司会を頼まれればやるし、原発再稼働を聞かれれば「ノー」と答え、戦争に突入しないため自分にできることはしていくつもり。65歳で体力の衰えは感じますが、怒りのエネルギーはあふれるばかり。だってそういうことばかり起きていますものね。

以前の女性の良さ見つめなおしたい

でも、今一番やりたいと思っていることは、1966年以前の日本女性の暮らしを見つめ直したい。その頃の女性の頑張り、慎ましさ、りりしさの詳細を残したいんです。1966年、初めて原子力発電が稼働した年、それ以前の暮らしと、それ以後の暮らしを地方ごとに記録したい。 昨秋に放送のNHKドラマ「洞窟おじさん」で70歳の農婦役をやりました。戦後の山村の洞窟で一人暮らす見知らぬ少年を家に引きとろうとする話です。農業以外なにもわからないおばあさんですが、人間味豊かで、何が大切かよく知っている女の人。うれしくって、誇り高く演じました。

経済的豊かさが幸せかというと、必ずしも…

わたし、「言葉のパフォーマンス」という認知症の人に詩や新聞を読んだり、お話しをする活動をしています。それを聞いた知人から「私の所でも」と超高級老人ホームに呼ばれました。ちょっと抵抗があった分、思い切って「貧乏な暮らし」ばかり話しました。昔は家族が囲むちゃぶ台に電灯が一個。それが家族の顔だけを明るくし、あとは闇だけが深かった。いま室内はこうこうと明るく、光量も調節できるけれど、どうなんだろう……という詩とかエッセイ、小説の一部を読んできました。
テレビや雑誌でどこか絵空事のようなことばかり見聞きしている皆さんに投げかけたこのへそ曲がりの投球に、豊かな人生を歩まれ、最期の時を迎えている女性たちが素直に反応してくださいました。
わたしは、誰とも同じじゃない「自分にとっての真実、自分にとっての快適さ」を求めて、死ぬ瞬間まで自分自身でありたい。そう思っています。

きうち・みどり 女優

1950年、愛知県生まれ。
66年、劇団四季に入団、TBS『安ベエの海』(69年)でドラマデビューし、多くの映画、舞台、テレビ番組に出演し活躍。
「高齢社会を考える」テーマでラジオパーソナリティを続けるなど活動も多彩。

インタビュアー

鈴木 裕也
協会副理事長(医師、埼玉社会保険病院名誉院長)