会員様・ご家族様からの声・2023年ご遺族アンケートより
【リビング·ウイルを生活の精神的支柱にしてきました】
長寿はリスクだと実感しました。だからこそ、協会の取り組みを心より応援します。(千葉県)
ぐらつきそうになる気持ちを強く支えていただきました。リビング·ウイルに感謝しています。(東京都)
延命措置をめぐって意見が分かれていた家族も、本人がLWを持っていることで、最終的に一致しました。(東京都)
協会の会員だったことにより、母の人生の最期を見事に飾ることができました。(千葉県)
生きることを考えるのが、協会に入る意義だと分かりました。(東京都)
- 13年前に母がくも膜下出血で倒れたときは、病院の医師やスタッフに伝えても誰もリビング·ウイルについて知らず、これは役に立たないのかと愕然として思わず「もっと勉強してください」とお願いしたほどでしたが、今回父(93歳)の時は違いました。皆理解を示し、リビング·ウイルがようやく浸透したと安心しました。(宮城県)
- 義姉(88歳)本人が、末期のガンとは知らずに入院したところ、すぐに危篤になり医師から「今後希望する治療は?」と聞かれました。以前より義姉が「痛みや苦しみから解放されたい」と、尊厳死協会の会員であることを知っていましたので、その旨医師に伝えました。亡くなった義姉は、とてもおだやかで美しい顔をしていました。私たち夫婦も会員です。(東京都)
- 夫(87歳)が救急搬送された時、私は入院中で、子供や親戚もないためケアマネージャーさんに付き添いをしていただきました。日頃よりそのケアマネさんにはリビング·ウイルの話をしていましたので、夫を担当する医師にその旨を伝えてくれるようお願いしました。
結果、夫は延命措置を避け、穏やかに旅立ちました。備えていてよかったと思います。私もいつも会員証を携帯しています。(埼玉県) - 母(87歳)は60代から延命措置を否定し、私共二人の子にも繰り返し言い含めてきましたので、その点では迷いはありませんでした。在宅でお世話になったリビング·ウイル受容協力医師はよく話を聞いて下さり、家族のリクエストにもよく対応して下さり何の不満もありません。ただ、最期の日々は母が認知症になり、自分が役に立たないことを嘆く姿は、見ていてとてもつらいものでした。(千葉県)
- 以前、夫の母が口から食べられなくなった時に医師から胃ろうの造設をすすめられたけれど、断ったそうです。しかし「何かあったらあなたが殺したんや」と言われ、やむなく承諾しましたが、その後の母の胸が痛くなるような状況に、何度も泣いていました。この経験から、私たち夫婦は協会への入会を決め、夫が78歳で救急搬送された際、会員証を救急隊員と医師に提示しました。夫の意思は尊重され、本当に有難かったです。(大阪府)
- 母(89歳)が口から食べられなくなった時に入居していた施設では、また口から食べられるようになる可能性にかけて人工栄養でつなぐことを提案されました。本人がリビング·ウイルを作成したのは認知症になる前のことで、今はどう思っているかは確認できないので、家族が選択するのもありだと説得されました。この施設は母の今後をあきらめず、頑張ろうとしてくれたのだとは思うが、それに従ったことを今でも後悔しています。最終的には、母のリビング·ウイルを受け入れ、手厚い看護をしてくれたところに移り、安らかに旅立ちました。(大阪府)
- 妻(73歳)が最期に自宅で旅立てたのは、「リビング·ウイル」と「自宅で逝きたい」という本人の意思表示が明確だったからです。個人の意思だけでなく、組織として支えてもらっているということが大きな力となりました。「尊厳死協会の会員です」と言いさえすればよかったので安心でした。(兵庫県)
- 徐々に弱っていく夫(73歳)が口から水分を欲しがった際に、どうしたらよいか分からず電話医療相談に頼りました。とても親身になって聞いていただき、良いアドバイスをもらえました。それは唇と歯茎の間に水分を数滴垂らしてあげるという方法で、夫の好きなコーラで試してみたら大変喜び、満足そうでした。そして最期はおだやかに息をひきとりました。漠然と入会していましたが、これほどまでに力になってもらえるとは思いもよりませんでした。心から感謝しています。(愛知県)
- 事前にリビング·ウイルについて話をしていましたし、延命についても入所時に拒否のサインをしていましたが、いざ「お父様(94歳)が息をしていません。30分以内に、救急車を呼ぶか嘱託医が来るのを待って死亡届を書いてもらうか決めて下さい」と確認の電話がきて動揺しました。夫は「折り返し連絡します」と一度電話を切り、しばらく考え、死を受け入れる旨連絡しました。事前に決めていたことでも、いざという時に、もう一度緊急確認の連絡が入ることを皆様心構えしておいた方がよいと思いました。(東京都)
- 私がリビング·ウイルを知ったのは、2006年に87歳の義母が人工透析を受けなければならない状態の中、固く拒否したことがきっかけでした。その時義母のかかりつけ医から「リビング·ウイルを知っていますか」と問いかけてくれたのです。その趣旨に賛同し、義母はもちろん、私と夫、私の父母も入会し、今日に至っています。リビング·ウイル受容協力医師の存在が患者にとっていかに心の支えになるか。今後理解ある医師が増えることを切に望みます。(三重県)
- 15年前に協会員であった私の母が脳内出血で都内の医療センターに運ばれた際、ほぼ亡くなっているに近い母を沢山のチューブにつなぎ、得意気に「この人はまだ生きている」と云う若き脳外科医に絶望し、かねてより親しい個人病院に移して少量の酸素のみで2~3日後安らかに旅立ちました。人は「時」が来たら死ぬと考えます。少し哲学的にもなるこうした考えを、医学を志す学生の教育から、あるいは漫然と古い医学の考えのままの先生方にこそ知って頂きたい。どのように死ぬかは、死を前にした一人の人間の、最後に行使できる絶対的権利です。長い人生、たくさんの大切な家族、友人、知人をお見送りしてきましたその度にこのことを深く考えます。(東京都)
- 母本人(90歳)は認知症になってしまいましたが、尊厳死協会の会員であることを周りに周知していたので、皆様の協力のもと、穏やかに最期を迎えることができました。かかりつけ医、在宅訪問医、施設の医師ともに、よく理解してくれました。(神奈川県)
- 父子家庭で祖母に赤ちゃんの頃から育ててもらい生きてきた私にとって、祖母は母同然でした。2年前転倒が原因の脳内出血により歩けなくなってしまい、施設に入りました。コロナ禍でも毎週会えるところを探して決めた場所だったので、毎週車いすでお散歩してお話したり、本当に尊い時間を過ごせました。何度も危ない時がありましたが、リビング·ウイルのおかげで祖母を無駄に苦しめることなく、最期まで心穏やかに思い出を作れたと思っています。昔から「私の寿命をおばあちゃんに分けられたら良いのに」と思うほど大好きな祖母の想いを尊重できたこと、感謝しています。(神奈川県)
- いよいよ看取り介護へと移行する際、自分の想像をはるかに超える葛藤の苦しみを味わいました。夫(79歳)のためというより、自分自身へのエクスキューズ*としてリビング·ウイルを利用した…そんな一面もたしかにありました。(東京都)(*エクスキューズ=言い訳)
- 母(97歳)が自宅介護になった際、これからどう最期に向かってすすめましょうか、という話し合いの段階で尊厳死協会の会員証を提示しましたが、早々に提示したため、看護が手抜きされてしまったように感じました。(群馬県)
- 夫(83歳)が施設入居中にリビング·ウイルを提示しましたら、「コロナに罹っても何もしないで良いんやろ」と言われ、とても傷つきました。リビング·ウイルの趣旨を理解せず、自分たちの面倒を省く材料にされ、心外でした。実際に夫がコロナに罹患した際は、救急車も呼んでもらえず、病院に入院することもできませんでした。しかし、別の症状で最後に入った病院では私たちの希望をよく聞いて下さり、本人の望んだとおりの最期を迎えられました。(兵庫県)
- 叔母が尊厳死という選択をしたせいで、何も治療を受けずに亡くなりました。延命措置をして、多少でも長く生きてくれればという思いがあり、協会を恨めしく思っています。(愛知県)
- 母(93歳)の最期のあたり、医師よりも看護師さんに「治療してやらなくていいのですか?」と何度も言われたのが、とてもいやな気持がしてつらかったです。「本人の希望ですから」と伝えても、繰り返し言われました。(福岡県)
2023年のご遺族アンケートによると、コロナ感染拡大防止のための面会禁止措置の規制が緩まり、徐々にお別れを云える場面が増えてきたようです。とは言え、大切な人とのお別れは、皆様大変な葛藤と苦渋のなかで悩んでおられます。アンケートのなかに「この気持ちは当事者にしか分かりません」とありました。どうぞ協会の「小さな灯台プロジェクト」を是非ご覧ください。実際にお看取りをされた方々の声や、協会からのアドバイス、終末期の生活やこころを支える情報が掲載されています。
2023年は433人から回答をいただきました。 372人(86%)がLWを医療者に伝えていて、「LWは受け入れられましたか」の質問には「十分受け入れられたと思う」が74%、「どちらかといえば受け入れられたと思う」は21%で、合わせて95%のご遺族がLWの効果を認めています。
深い悲しみの中、アンケートにご協力くださいました方々に深く感謝申し上げます。