インタビュー・社会状況変わった 協会に新しい魅力を

井形昭弘さんは、40年の歴史を刻んだ日本尊厳死協会で2002年から11年間理事長を務められた。 87歳のいまも教壇に立つ名古屋学芸大学に訪ねた。

LW授業で人権意識養う
めざせ、健やか百歳

井形 昭弘
(いがた あきひろ)

1928年、静岡県生まれ。
東京大学医学部卒、スモン病の研究で知られ鹿児島大学医学部教授、同大学長、あいち健康の森総合センター長を経て現職。
日本尊厳死協会では理事長から名誉会長。

協会理事長を退任された後も大学では「尊厳死」を講義するとお聞きしました。

私学の名古屋学芸大学(愛知県日進市)です。73歳のときに理事長と前後して学長になり、それ以来「高齢者医療福祉概論」の授業を持っています。管理栄養学部とヒューマンケア学部で分授業が年3コマあるうち1回を「尊厳死」に充てています。 教室ではパソコンでスクリーン映像を使い、「人間の最期は自然の摂理に委ねよう」「そのためにもリビングウイル(LW)が」と説いていますよ。

学生の反応はどうですか。

ほとんどが女子学生で、生と死の問題は初めてのようでフレッシュに受けとめられています。提出リポートでは「授業を聴いて自分はそう思うが、親に対しては…」と正直な意見が少なくありません。読むのが楽しみです。 栄養士国家試験に「尊厳死と安楽死の違い」が出題されたこともあるんです。終末期医療と自己決定は学生が身に着ける教養と思っています。

何千人もの若者が尊厳死の考えと巡りあったのですね。

ボクは授業で尊厳死を押し付けようという気はありません。法律家の青木仁子・前協会東海支部長がよく「LW普及は、自分のことは自分で決める自己決定権を実現し、それを尊重し合う人権運動」と言っています。同感で、授業を通して少しでも人権感覚を養ってもらえれば本望です。

難病研究の医師が長寿研究に転身されましたが…

神経難病などを研究した医学部教授や学長を務めた鹿児島大学を辞めるころ、高齢社会に備え国が主導して長寿を研究し始めました。キミも加わりなさいということで、新天地のつもりで国立長寿医療研究センター(愛知県大府市)づくりに参加しました。 平均寿命が幾ら伸びても人は必ず死ぬのだから、それなら健やかに長生きして最期は安らかにが人間の幸せではないか、と論文をまとめました。これが協会の役員をしていた先輩医師の目にとまり、「協会の考えと一緒だから、キミも少しは汗をかきなさい」と引きずり込まれてしまって(笑い)。

たどり着いた先に待っていた尊厳死


神経内科から老年医学へ移ったのは、まあ、ボク自身が少しずつ年を取ってきたからかな。骨を埋める覚悟だった鹿児島を離れた新天地で待っていたのが尊厳死。ここにたどり着いたのは医師として当然の帰着と思っています。

神経内科から老年医学へ移ったのは、まあ、ボク自身が少しずつ年を取ってきたからかな。骨を埋める覚悟だった鹿児島を離れた新天地で待っていたのが尊厳死。ここにたどり着いたのは医師として当然の帰着と思っています。

協会のかじ取りをした2000年代初めは終末期医療にかかわる出来事がいろいろありました。

会員になったのは日本学術会議が「尊厳死容認」を打ち出した1994年で、東海支部の活動にかかわりました。会報前号の「写真で語る歩み」で紹介された東海支部の自作劇公演では、ボクも病名告知で悩む主治医役で舞台に立ちました。あれも楽しかった。

大声で反論も厚労省の審議会

北山六郎氏(元日本弁護士連合会会長、故人)から理事長のバトンを受け継ぎました。その1か月前に医師が末期患者を安楽死させたとする川崎協同病院事件が明らかになり、騒然とした中でした。
取材を通して「尊厳死は安楽死と違う」「自己決定が大切」を力説し、理解してもらうのも大変だった思いが残っています。 その後、協会は尊厳死法制化運動に具体的に取り組み、揺れ動く社会に積極的にコミットしていこうと思いました。


確か「行動する協会」をスローガンに掲げました。

引き受けた以上は、サロン的でなく、「行動」を自分の気持ちに言い聞かせたわけです。「尊厳死法制化」への取り組みも、協会自身が努力しないとダメという思いが強く、「行動」の第一歩でした。役員のみなさんと議員連盟の立ち上げ、レクチャーなどで何十回も永田町に足を運びました。

念願の法制化もなかなか新しい局面が開けません。

議員連盟が活動して年余が経過しました。正直いうと、当初は「法律はすぐにでも」と楽観したこともありました。でもいろいろなレベルの反対論が根強くありました。 一方、近年の大きな変化で、厚労省、各医学会の終末期医療ガイドラインが「本人意思尊重を第一に」と掲げ、個々の病院が用意する意思表明書も多くなりました。何年か前までLWと言えば尊厳死協会でした。それがそうでもなくなり、高齢者が愛用するエンディングノートにもはさまれているほど社会状況が変わりました。

LWと井形さんでは忘れられないシーンがあります。厚労省の諮問委員会で、ある委員が人の考えは変わりやすいから「分前のLWはもう化石だ」と発言しました。参考人で招かれていた理事長が「本人意思尊重は人権運動の一つ」と大声で反論しました。数年前のことです。

そう、覚えていますよ。いわれなきLW批判にはもう反射的にねぇ…。授かった大声にはただ感謝です。(笑い)

「怒りのDNAを持たない人」と井形評を新聞で読みました。

怒るときがないわけじゃないんです。動物実験で、ホルモンで髪を逆立てたり、目を吊り上げたり怒りの状態を作り出せるのです。怒りも頭のなかの物質の働きで、そう考えると物質で自分が操られるのもしゃくで、怒る気がなくなる。ガミガミ言っても相手は遠くに行ってしまうだけだしね。

そのLW登録では最近、協会会員が減り続けるという心配現象が起きています。

先ほど話したように社会状況は変化し、LWにサインして「よろしく」、「はい、わかりました」にみなさんが満足しなくなったのか。

生と死考える集団40年の蓄積生かし


「本人意思尊重社会」をここまでリードしてきた協会にはプライドと研究の蓄積があるのだから、そうした場面を自らつくり、指導力を発揮してほしいのです。お前のときにしないでと言われそうですが、「生と死を考える集団」に変わるのも一方法です。新しい協会の魅力の創造です。

目の前の超高齢多死社会では生と死に対する新しい視点が求められるのでしょうか。

ボクは今年9月、世間でいう米寿を迎えますが、「めざせ、健やか百歳」をあちこちで話しています。わが国の百歳老人は現在6万人で50年には68万人と10倍増。88歳は「めざせ百歳」への第一次試験に合格するようなもので、せっかく入学枠が広がってきたのだから第二次試験に合格するよう努力するのが当然でしょう。 人間は長生きするほど最期は眠るがごとく死んでいくのが自然の摂理です。せっかく神様がそうしてくれているのに、病院で延命措置など濃厚治療を受けることは、安らかな死へのお邪魔虫となります。

長寿が安らかな死をもたらすというわけですね。

昨今、介護もそう必要ない健康寿命が話題になるように、長寿でも「健やか」が大切です。平均寿命も健康寿命も伸び、その差が限りなく縮まれば幸せで、そう努力するのがポイント。日本ではその差が男性で9年、女性が12年半ほど。なかなか短くなりません。

ご自身、お独り暮らしと聞いていますが、いかがですか。

十数年前、ボクが70過ぎのころ家内を亡くしました。どこの亭主とも同じく台所には無縁で、家内から「私が先に逝ったら、この人が大変になる」と言われていた大変なことが起こったのです。以来、独り暮らしで、民生委員の定期訪問も受ける身です。

独居の生きがい夕飯作りにも

だけど起こってみたらね、炊事や洗濯が苦にならない。男の料理教室にも少し通いました、外食の機会も多いのですが、夕方6時か7時に家に帰れば、買い物袋を下げてスーパーに行きます。売り場を見ながら「これで何か今晩のごちそうをつくろう」と考えるのも楽しいですよ。 昨日は早く帰ったので鶏肉シチューをつくりましたよ。ブロッコリーなど野菜とシチューの素、牛乳を入れれば、はい出来上がり。1回つくると2、3回食べねばならないのはまいりますがね。


周りの目はどうですか。

どう見られているかはともかく自分では、高齢者の割には充実した生活を送っている印象を与えているなあ、と思います。幸い、大学に毎日出勤し、女子学生が多いですからきちんとネクタイを結び、髪に櫛を入れる。それも「めざせ百歳」への刺激になっていると思います。

インタビューを終えて
 人の最期のあり方というと高齢者の問題と思いがちです。人権という視点で学生と向かい合う井形さんの気持ちがとても新鮮に映りました。東海地方の一角からこんな授業が各地の学校、大学に広がれば、日本の明日は変わるのではないかと思いました。
 そのフレッシュ井形さんは「独居老人」と呼ばれることがあまり好きでないようでした。念のため。

リビング・ウイル

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