会員様・ご家族様からの声・2020年ご遺族アンケートより

リビング・ウイルは生き方の宣言

協会は、「迷いの海のなかの灯」であってほしい(埼玉県)

あの時の判断が、今のわたしの心の支えになっています(神奈川県)

リビング・ウイルは「死に方」の宣言ではなく、「生き方」の宣言だったのですね(東京都)

協会の会員であるという安心感は、たとえようもなく。。(神奈川県)

リビング・ウイルが、家族にこんなに優しい力を与えてくれるとは。。(兵庫県)

自分の気持ちにすなおになれる(東京都)

*リビング・ウイルを宣言したことにより母(81歳)は自分の人生を生き切ることができました。そして家族は母の命の灯が細くなり、消えゆく瞬間までを共に過ごすことができました。母にとって最高の旅立ちであったと思います。リビング・ウイルは「死に方」の宣言ではなく、「生き方」の宣言だったのですね。心から感謝しています。(東京都)

*夫婦で入会後、心が軽くなりました。「ああ、これで万が一の時に心乱さずに、医療機関にも一から説明しなくて良いのだ」と思ったのです。実際に夫(67歳)の最期はその通りになりました。(東京都)

*積極治療を勧める医師に、看護師さんが母(93歳)のリビング・ウイルを尊重するサポートをするよう、間に入ってくれました。結果、特養の自室で真心のこもったケアを受け、穏やかな最期を過ごすことができました。残された家族の心も癒され、今は感謝あるのみです。(東京都)

*両親が会員でした。父が亡くなったあと、母(87歳)の精神を支えたのは、「自分の最後を決めていること」でした。(神奈川県)

*肺炎になった夫(87歳)は医師に、「先生は患者を治すための使命がおありでしょうが、私は30年近くこのリビング・ウイルの会員です。延命の処置はしないで下さい」とはっきり言葉で伝えました。その後6日間、医師や看護師はチームを組んでサポートして下さり、夫の最期の顔は穏やかに安心して微笑んでいるようでした。(神奈川県)

*病院へ行く時、母(77歳)はカードを首から下げていました。本人にとって、とても重要な意味を持つカードでした。(東京都)

*夫(80歳)は病床で、リビング・ウイルを読んで欲しいと言いました。もう一度内容を噛み締めたかったようです。このカードが本人と家族の気持ちを確かなものにする「証し」だったことは間違いありません。私は「私の希望表明書」も書いてあります。これからの私の「生き様」と「覚悟」につながると信じています。(神奈川県)

*医学が進歩し、様々な延命の道がある今、それを選ばないという決定はなかなか難しい。我が家の場合、元気だった頃の夫(76歳)の決めたことだ、という事実が大きな意味を持ったと思います。笑って「万が一」の時のことを語れる、ゆとりある時に家族に伝えておくことが大切です。口で伝えるだけでなく、カードなどきちんとした証拠を残すことが望ましい。そして、親の方からこの話題を切り出すべきと思います。(東京都)

*父(98歳)のカードを提示し「こういう会に入っています」と言うと、担当医は深く三度頷き、「1週間、そしてまた1週間というふうにやっていきましょう。」と仰いました。痛みや苦しみを取り除くことに専念してくれました。(宮城県)

*病院にいたままでは、コロナ感染症予防のため面会も出来ないと考え、思い切って在宅に切り替えました。夫(91)も安心して旅立ちました。(東京都)

*夫(88歳)に訪れるどのような事態も、リビング・ウイルのおかげで落ち着いて受け止めることができました。リビング・ウイルを正しく理解し、カードを手にした時から24年、今までずっと、そしてこれからもいつも私の大切な精神安定剤です。(兵庫県)

*家族は本人(85歳)の尊厳死の希望を理解していましたが、遠方から駆け付けた夫の兄弟達に「一日でも長く生きて欲しい」と云われ、困惑しました。最後まで意識があった夫はどう思っていたのか。(福島県)

*リビング・ウイルについて、普段から兄弟、姉妹、友人、知人とも話をしておくことが大切だと強く感じました(三重県)

*父(87歳)から協会の会員であることは何度か聞いていましたが、本人が元気だったため、あまり気に留めることはありませんでした。しかし昨年父の容態が急に悪くなり、入院した頃には既に話すこともできなくなっていました。病院で延命措置について問われた際は、以前から聞かされていたおかげで、比較的冷静に考えることができたと思っています。(青森県)

*病気が分かってからの夫(71歳)の努力、自発的な行動、自ら病気に関する知識を求め、相談に奔走し病院を選び医師とコミュニケーションを取り、そばで見ていて本当に感心しました。悲しみは募るばかりですが、今思い出してもとても立派な対処の仕方だったと思います。(千葉県)

*病院で新型コロナウイルスを発病した患者がいらしたということで、母(85歳)に全く面会ができなくなりました。本人の希望通りの尊厳死ではありましたが、「死のありかた」としては受入れ難いものでした。「会いたい」「手をにぎりたい」「そばにいて欲しい」という母の希望を、何一つ叶えてあげられなかったことが非常につらくて、今でも心残りです。(宮崎県)

*このリビング・ウイルを介して日頃から母(82歳)と死生観について話し合う機会を作れたこと、それによって自分自身の死生観を考えるきっかけにもなったことは、とても有益だったと思います。(神奈川県)

*静かに見送りたいと願う気持ちと、少しでも長くそばにいたいという気持ちに揺れた日々でした。ただ、リビング・ウイルの意思を聞いていたことで、色々な判断をする際の指針があったことは良かったと思っています。(千葉県)

*母(84歳)が入会したのは15年前で、健康だったからこそ延命しないで最期を迎えたいと思えたのだと感じます。ガンが発覚してからは、少しでも良くなりたい、そのためには厳しい治療にも向き合ってきました。効果がないと自覚すると、死への恐怖を感じたようで、協会の会員であることを医師に告げる余裕はなかったようです。その後容態が急変し入院して、食事が摂れなくなった時には本人も私たちも点滴なしで最期に向かう決断はできませんでした。あっという間に会話をすることもままならなくなり、その間容態が変わるたびに私たちは「治療を望む」と医師に伝えることになりました。依頼したこととはいえ、何とも言えない複雑な気持ちになりました。結局点滴で少しの命の時間はのびましたが、むくみや痰が増え、本人にとっては苦しい状態が続いてしまったと思います。入会時の母は協会の趣旨に賛同して家族にも伝えていましたが、最後まで強くその意思をつらぬくのは厳しかったようです。(千葉県)

*夫(82歳)の死はつらいものとなりました。医師にリビング・ウイルを提出しましたが何も変わらず、死にゆく人に検査、検査で、本人は苦しかったと思います。生の終わりだからこそ、手厚く看てほしい、心からの願いです。(京都府)

リビング・ウイルが果たした役割は

 2020年はコロナ禍でお見舞いも付き添いも十分に出来ず、最期に手を握ることも叶わない場合もあった辛い1年でした。そのような過酷な状況にあっても、会員のみなさまはリビング・ウイルを提示して最期の生き方を宣言し、ご家族様はご本人の希望を懸命に支えられました。

協会は今年も、亡くなられた会員のご遺族に協力して頂き、リビング・ウイル(LW)が役立ったかどうかのアンケート調査を行いました。

2020年は675人から回答を頂きました。568人(84%)がLWを医療者に伝えていて、「LWは受け入れられましたか」との質問には、「十分受け入れられたと思う」が71%、「どちらかといえば受け入れられたと思う」は24%で、95%のご遺族がLWの効果を認めています。

 「LWはご家族にとってどういう意味を持ったか」を伺うアンケートは以下の通りです。複数回答で、一番多かったのは「本人の意思を実現出来た。(413人)」、次に「医療方針を決定するに当たり、家族にとって迷いがなくなった。(350人)」、更に「医師とのコミュニケーションに役立った(226人)」、「LWを持っていることで本人が安心して暮らせた(190人)」でした。

 故人のご冥福をお祈りするとともに、アンケートにご協力下さった方々に心より感謝申し上げます。