第3回LW研究会「生かされなかったリビングウイル」【要旨】
救急医療医現場での中止が課題
今回の研究会は、尊厳死協会が遺族に対して実施しているアンケートの調査結果をふまえ、リビングウイルが生かされなかったケースを再調査した。そのなかから、2ケースを選んで詳細を提示したうえで問題点と打開策を議論した。 最初のケースは、突然倒れて心肺停止に陥った90歳の母親のケースだ。尊厳死カードを持っていながら、家族の気が動転していて救急車の隊員に示すことができなかった。その間に蘇生して病院に運ばれた。そこでも尊厳死カードを示したが、一度つけた人工呼吸器は「犯罪になるので外せない」と聞き入れられなかった。 パネルディスカッションでは、救急における終末期の問題に集中した。日本救急医学会のガイドラインでは、こういった本人と家族の意思が一致している場合は、ひとたび生命維持装置を装着していても、「中止」ができることになっている。だが、実際の救命現場では生命をつなぐことに主眼が置かれ、それを中止することは①医師の使命に逆行する②犯罪に問われかねないこと、などから実施されていないのが実情だ。 会場にいた医師からは「法律ができれば、心理的な負担は軽くなる」との発言や、パネリストからは「救急車を呼ぶかどうか。人工呼吸器を装着するかどうかなどを事前に家族で話し合っておけば、こういった問題は起きない」などの意見も出た。 第2のケースは84歳になる父親。介護施設に「胃ろう」を勧められた。尊厳死カードを提示すると、医師は「胃ろうをしていいのかなあ」と逡巡しつつも、娘は「回復するかもしれない」との説明に背中を押されて承諾した。痰の吸引も苦しそう。人口呼吸器は断ったが輸血はした。どんどんチューブが増えていく。どこまでが不治かつ末期なのか、わからないし、医師も伝えてくれない。 このケースについては、尊厳死の要件となる「不治かつ末期」の定義について話し合った。病態や年齢によってさまざまな不治かつ末期について、「それを定義するのは難しい。医師や家族ら関係者が、末期だと思えば、そのときが『末期』なのだ」という意見や、「患者に伝えるべき医師のコミュニケーション力が不足している」などの意見も出た。