第2回LW研究会「認知症とリビングウイル」【要旨】

第1部 社会的な取り組みの重要性

第1部は埼玉社会保険病院名誉院長で、協会副理事長の鈴木裕也代表副幹事が座長を務めた。
ベストセラー「平穏死 10の条件」の著者で知られる長尾クリニック(尼崎市)の院長で、協会副理事長の長尾和宏代表副幹事は、町医者として認知症患者を診ている立場から、「安心して暮らせるまちづくりと介護施設の看取りが大切だ」と訴えた。
また専門家の立場から、愛媛大学大学院の野元正弘・薬物療法・神経内科教授は、「現在のところ特効薬はないが、介護者との心理的関与が有効で、冷たくされると認知症が悪化することがわかっている。話しかけてよい環境を保つことが大切」とやはり認知症に対する社会的な取り組みの必要性を説いた。
また、天野武城・これからの福祉と医療を実践する会副理事長は、認知症患者の母親が残した言葉を披露した。
「死ぬということは気品あること。気品ある死に方は気品のある生き方である」
青木仁子・協会副理事長は、弁護士の立場から、「認知症と法―尊厳死を考えるうえで」と題して話した。過去の安楽死事件の判例を紹介し、命に係わる決定は本人以外にはできないことを力説した。そのうえで、「自己決定をする意思能力があるかどうかは人によって異なり、個別に判断する必要がある」と難しい問題であることを指摘した。
また協会の理事長であり、死の権利協会世界連合理事の肩書きを持つ岩尾總一郎代表幹事は、LWが法制化されている世界各国では、いまや安楽死を認める趨勢にあることを紹介したうえで、そういった国々で認知症の人をどう考えるかを検討し始めていることを明らかにした。

第2部 議論白熱、各々が持論を展開

第2部は、座長である長尾副代表幹事が作成した、こんなビデオで始まった。
長尾     「おばあちゃん、何歳?」
おばあちゃん 「50? いや60か」
長尾     「私、だれかわかる?」
おばあちゃん (毎週診察する長尾医師に)「知らん」
長尾     「食事がとれなくなったらどうする?」
おばあちゃん 「なんにも。かまへん。自然に」
長尾     「胃に穴開けて栄養を入れるんは?」
おばあちゃん 「しません。なんもせんでいい」  

スクリーンには、認知症のお年寄りが登場して、長尾氏の質問に答える。意思を表明できない人もいるが、何人かははっきりと「胃ろうはしてもらう」「いやだ」と自分の思いを口にしているように見える。「認知症の人はLWの意思を表明できるのか」この問題の討論が始まった。座長の長尾氏のもと登壇したのは第1部で講演した天野、青木各氏に加えて大阪大学大学院人間科学研究科の佐藤眞一教授に、九州大学の信友浩一名誉教授の4人。高齢者の行動を心理学的に研究している佐藤氏は、ビデオを観た感想として「認知症の方は、誘導されてしまうという側面があるが、意思をどう捉えるかは、末期のがん患者とは違う新しい看取りのあり方とセットで考え、本人の意思を読み取っていくことが大切だ」と提案した。信友氏は、「年齢を聞いてもわからない人がいたが、本人の関心事でなければ、わからなくてもおかしくはない。それを判断能力に結びつけるのはどうか。認知症の本質は記憶障害で、その不安を察する感性が我々にあるかどうかだ。医療の問題ではなく、生活モデルの問題として考えれば解決の糸口がある」と認知症を取り巻くコミュニティに注文を付けた。――推定意思をどう感じ取るか―― この日のメインテーマとなった「LWを表明できるのか」について、まず信友氏が「本人が表明したいと言うなら、家族もまじええみんなでカンファレンスをすればいい」と口火を切れば、弁護士でもある青木氏は「『認知症の親を入会させたい』という問い合わせが、よくある。認知症の程度で異なるが、尊厳死の意味がわかれば入会できると答えている」と発言した。天野氏は「(表明したいかどうか)を聞く相手が、最後まで聞き出してくれるなら、表明できると思う」と答えた。 これに対して佐藤氏は「セルフルールに従うことによって行われるのが自己決定で、それを判断するには本人と医師、介護士とか家族が、日常の関わり合いの中で、推定意思をどう感じ取っていくかが大切だ」と述べた。

――正常と認知症で意思が変わったら―― 認知症を抱えた家族が、LWを代弁できるのかというテーマについて、青木氏は「家族に『早く死なせてください』と請われて死なせた事件のケースでは、みんな殺人罪に問われている。いかに本人の自己決定が大切かということ」と、根幹の部分の自己決定は、あくまで本人に従うべきだとの考えを示した。これに対して、天野氏は「ひとりっ子なので、私が代弁するしかない。スパゲティーになりたくないと言っていたおふくろの意思を生かしてあげたかった」と、意思を推し量ることは現実問題としては必要との認識を示した。これに対して佐藤氏は「家族の意思は、あくまで家族の意思で、本人の意思であると信じる根拠は必要だ。記録として書き残しておく必要がある」と述べた。 会場からも意見や質問が相次いだ。 「本人に意思能力がなくて、医師が家族としかやり取りができない場合、その家族の推定意思で(延命治療の中止などの)治療方針の変更はできるのか」 これに対して青木氏は「文書がない場合でも、医師がその家族の言葉を信頼できるのであれば問題はないと思う」としつつも、「裁判になれば、言った、言わないが調べられるので難しい問題ではある」と答えた。 また、「正常なときにLWを表明していた母親が、認知症になって、『長生きしたい』と言うようになった」との会場からの質問について、再び青木氏が答えた。「晩年の意思は、正常な判断と思えなかったのならば、長生きしたいという意思表示は何の意味もない。ただ、本当にお母さんが長生きしたいと思っているなら、LWを撤回しなければならない」と問題の難しさを浮き彫りにした。 会場から「認知症がLWを表明できるかどうかを議論するより、正常なうちにLWを宣言していればいいのでは」と意見が出ると、すかさず座長の長尾氏は「しかし、認知症に陥ったがために3年間、会費を滞納すると退会手続きが取られてしまう。そういう人の意思はどうなるかという問題もある」と切り返した。 尊厳死協会の会員ではない佐藤氏は、研究会への参加が決まった1か月前から、尊厳死について考えてきたという。「50代後半になって、以降の人生を自分でどうしていくのかを考えるのは個人の責任だということがわかった。尊厳ある生き方、あるいは亡くなり方を考えるきっかけを、国民運動にしていただきたい」と協会に注文を付けた。 それを受けた信友氏は、成人式になぞらえて、60歳を迎えた人たちで「老年式」をやろうと提案した。「還暦を迎えてどのような生き方、死に方をするのか、覚悟を聞かせろ、という会をやろうではないか」 議論は次第に白熱し、予定されていたテーマにはなかったLW法制化にまで及んだ。 日本医師会の生命倫理懇談会の委員でもある岩尾代表幹事は、懇談会での議論の経過を説明した。 1月に公表される報告書の素案では、LWの法制化は「不要」との流れができている、としたうえで、「どういう形になるかわからないが、0.1%の国民しかLWを持っていない段階で、LWを持っていない大多数の終末期医療の人たちに適用されない法律はおかしいという意見もある」と、LWが広まらないことへのジレンマを吐露した。