【命と向き合って】-親父の遺言
親父らしいことを、何一つしてもらった記憶がない。
新聞記者だった父は、家にいることがほとんどなかったし、休みの日でも遊んでもらった記憶は数えるほどしかない。久々に出掛けた箱根への家族旅行は、台風に見舞われた。たまたま高熱を出した私を放って、仕事のためにひとりで帰ってしまった。
ぐったりした私を抱いて暴風雨のなかを医者に連れて行ってくれた母親の必死の形相は、今でも父親への嫌悪感とともに、心に焼き付いて離れない。だが気づけば、私はその父親と同じ仕事に就き、家族を犠牲にして好き勝手な振る舞いを続けてきた。まさに自分が憎悪した父親像を、「仕事」を理由に何の疑いもなく受け入れている。
その父も82歳となり、昨年は大病をして手術に及んだ。手術直後のおぼろげな意識のなかで、彼は私に、こう尋ねた。
「もう取材はできないかな」
私は少し意地悪な気持ちになった。
「もう本の執筆は無理だ。簡単なエッセイでも書けばいいだろう」
彼はしわくちゃな細い腕を額に乗せた。なにやら口をモグモグ動かす。聞き取ろうと思って顔を近づけると、腕の隙間から一滴が枕に流れた。
私は少し可愛そうな気持ちになった。
「何を書きたいんた?」
しばらく黙っていた彼は、小さな声で話し始める。
「もうタイトルは決まっている」
「どんな?」
「座間味で遺言を書く」
彼は、戦時中に集団自決のあった沖縄の座間味の人々の苦しみを、なんとか描きたいと言うのだ。集団自決は軍の命令か、それとも自発的だったのか、さまざまな憶測が飛び交い、真相は闇のなかに埋もれようとしている。それに迫りたいというのだ。
「遺言かい?」
そう尋ねた私に、彼は天井の一点を見詰め、声のトーンを少し上げた。
「座間味の遺言であると同時に、俺の遺言でもある」。
とはいっても、この体で沖縄、しかも離島に渡るのは、明らかに無理だ。
「じゃあ、その遺言とやらを書きに、俺が連れてってやる 」。
彼は、「うんうん」と頷いた。
苦しいリハビリの日々が続く。立つのはおろか、座ることさえできなかった彼は、みるみるうちに立ち始め、1週間ほどで歩行器を使って歩けるまでに。「沖縄に連れてってくれるらしい」。母親に、こう漏らしたことを、あとで知る。遺言を座間味に書きに行くとは、随分と贅沢な夢だ。死ぬまでジャーナリストでいる気なのだろう。その気概だけで、リハビリに打ち込む彼の後ろ姿は、すっかり痩せていた。
その背中に、語りかけた。
「もしものとき、延命治療をどうするか」
彼は、何も答えなかった。きっと、とことん生きるつもりなのだ。(た)