【命と向き合って】-あれから3年、やっと訪ねられた慰霊碑

宮城県石巻市の石巻市立雄勝病院跡に建てられた手作りの慰霊碑に、ひとりの女性が手を合わせていた。東北大震災から3年目を迎える直前の3月4日のことだ。

あの震災の日、40人の患者を残しては逃げられないと、職員28人は病院内に留まった。津波が押し寄せ、屋上に避難したが全員が流され、24人が亡くなった。そのひとり、臨床検査技師のIさんの妻の美恵子さんだ。Iさんは、まさに病院が津波に呑み込まれる瞬間まで、患者を必死に屋上に運び上げようとしていたのが、目撃された最後の姿だった。

昨年、その病院は取り壊され、跡地に手作りの慰霊碑が建てられた。まだ、亡くなったことを受け入れられない気持ちが残っている美恵子さんは、その慰霊碑を訪ねられないでいた。そこに刻まれた名前見れば、夫の死を突きつけられる。それが怖かった。

いまでも毎日、夫の遺影に帰ってきてくれないことに恨み言をつぶやき、夢に出てきてほしいとお願いする。夫とは、老後に赤いポルシェを買って、旅行三昧の日々を過ごす約束をしていた。だから、仏壇に模型の赤いポルシェを飾ってある。いつでも乗り込んでこられるように、運転席のドアは開けっ放しだ。

慰霊碑に線香をたむけ、手を合わせる。ずっと訪ねられなかったことを詫びた。 40人の患者の後に、24人の職員の名前が並んでいる。ここに来て初めて、夫以外の犠牲者がこれだけたくさんいて、その各々の家族が、自分と同じように苦しんでいることに気づかされた。もっと早く来るべきだった、と思った。

しばらくすると、夫と一緒に働いていた女性職員が、駆け付けて来てくれた。地震の前に自宅に帰っていたので無事だった。たわいもない話を交わす。子供のこと、趣味のこと。普段の生活のこと。でも、自分の夫が職場でどんな様子だったかを聞く勇気は、最後までなかった。

目の前に広がる雄勝湾は、凪いでいた。 3年目を迎える3.11の当日は、予定を一杯に入れた。 あの2時46分を自宅で、ひとり迎えるのは、やはり辛い。