【第六回】老人保健施設で感じた人生の最期 黒野明日嗣

私が今の職場である公益財団法人慈愛会 介護老人保健施設愛と結の街に来たのは今からちょうど10年前のことです。尊厳死協会の会長をされています納先生の教室である第3内科で研究をしていましたが平成12年のスウェーデンへの留学を境に後遺症の残る疾患をみている神経内科医として、生活を診る医者が一人ぐらいいてもいいのではないかと考え、納先生には無理を言いまして大学をやめ、平成15年より愛と結の街に務めることとしました。入所されている方々の平均余命は7−9年と短く、年齢を考えれば当然といえば当然なのですが、その事実をご家族に伝え、我々も一緒に意味のある日々が重ねられるように努力する話をしたつもりでした。ところが、多くの家族が余命についての話しを聞き涙されたのです。驚いて理由を聞きますと、「まさか死ぬとは思っていませんでした」とのこと。医師も、看護師も、介護福祉士もいる施設なので病気にもならないと思われたようです。しかし、冷静に考えれば、人間の死亡率は100%であり、年齢を考えれば、残り少ないことはうすうすわかっていたと思うのですが、改めて言われると、先送りにしていた事実がのしかかって涙になったのだと思いました。Apple社の社長をしていたスティーブ・ジョブズは来日した際に禅の世界に感銘を受け、「毎日を人生最後の日だと思って生きたなら、いつか必ずそれが正しいと分かる日が来るだろう」という気持ちで毎日を過ごしたといいます。そこで私達は「心豊かな生活を目指し共にはぐくむ触れあいの街」という理念を押し進め「悔いの残らない最期」のために何が必要かを考えました。

その結論が自己決定でした。
私が老健に来て最期を迎えた方がいらっしゃいました。老健のスタッフにとっては普通の事のようですが、私は老健に来て初めて亡くなられた方の御前で線香を上げました。病院勤めではないことです。しかし、葬儀場でご家族とお話する機会を得て、確信しました。自己決定してその後の時間を過ごした家族は大往生といい、先送りした家族は悔いが残っていました。例えば、在宅復帰の提案をご家族にして、悩みぬいた結果、無理であると答えた家族は悔いはありませんが、真剣に悩むことなく先送りした家族はその時本当に出来たかどうかはわからないのに家に連れて帰ってあげればよかったと悔やみ、そしてその悔やみはもはや消し去ることは出来ないのです。(もう試すことが出来ないので)
そういう思いを家族にはさせてはいけないと思いました。悔いが残らないようにするためには自己決定していただくしかないという結論に至りました。
では、自己決定をどのように行っていただくのか?
家族にとっては初めての事の連続ですので、選べる選択肢をもれなく提案することが我々の重要な仕事になりました。漏れのない選択肢から選ぶことによって初めて悔いが残らない自己決定になるのです。
例えば、認知症の方が最後に陥るのは、食べる能力があるのに食べないという意思表示をされ、食事を介助で口に運んでも口を開けない状態になります。どのような方法をとっても食べてくださらない場合、我々は5つの選択肢を家族に提案します。

  1. 鼻腔栄養(鼻から胃までチューブを入れる)
  2. それは長期には鼻や喉が痛いので、胃ろうにする(胃と腹壁に穴を開けてバイパスを作る)
  3. カテーテルを心臓のそばまで挿入して食事と同じカロリーを点滴する
  4. いわゆる点滴(ただしカロリー入れられないので主に水分補給になります)
  5. 病院では選択するのが難しいのですがそのまま何もせず自然に最期を迎える

の5つになります。自然に最後を迎える以外はすべて延命になります。しかし、ここで気をつけないといけないのは延命するかしないかという議論ではありません。残された時間を自然に過ごすのか、ちょっと伸ばすのか、ものすごくのばすのか。持ち時間の問題なのです。そしてもう一つ重要なのが、その時間が本人にとってどういう価値があるかということ。娘、息子、伴侶の立場であれば、少しでも長い時間を過ごしたいと思うのが普通だと思います。でも、本当に大事なのは、本人がどう思うかである、と家族には再三お伝えしています。それによって初めて悔いのない選択になります。これまで、自然に亡くなられた方もいらっしゃいます。胃ろうにされた方もいらっしゃいます。どちらも悩まれて悔いのない選択をされました。私たちスタッフの役割は漏れのない選択肢を考えて提案し、正しく悩んでいただくお手伝いをすることだと考えています。

翻って尊厳死協会に登録されている皆さんはすでにそういう悩みを経て自己決定された方々です。悔いのない最後を迎えるにあたって重要な決断をされたと思います。その決断には当然ご家族のご意見もあったと思います。大事なのは決定することと同じくらい、その自己決定までの過程をご家族と一緒に経ることだと思うのです。一緒に悩むというプロセスを共通して体験することで、自己決定が尊重されると思います。プロセスを大事にしていただきたいと思います。尊厳死とはひとつの選択肢です。ただ多くの人が、自分の最期についてを考えないまま、その場面に突入していきます。その時一番悩むのが皆さんのことを大事に思ってくれる家族です。その家族を悩み苦しめ、後悔させないためにも自己決定することは重要だと思います。
そういう機会を尊厳死を考えることで提供することは大変重要な仕事だと思うようになりました。
老健での看取りを通じて考えたことを書きました。
これからも家族と一緒に悩める、そんなスタッフといい最期について考えて行きたいと思います。
 


黒野 明日嗣 プロフィール:

大勝病院、阿久根市民病院、鹿児島大学医学部 第3内科、公益財団法人慈愛会 谷山病院勤務を経て
平成11年6月 公益財団法人慈愛会 介護老人保健施設 愛と結の街勤務。
平成15年6月 公益財団法人慈愛会 介護老人保健施設 愛と結の街 施設長就任。現在に至る。
平成19年  社会福祉法人 高齢者介護予防協会かごしま 理事
平成21年12月 谷山病院認知症疾患医療センター 副センター長 就任
平成23年4月 鹿児島市老人保健施設連絡協議会 幹事
平成25年4月 公益財団法人慈愛会 経営企画部長 就任